楽な仕事など、大した成果は得られない。

「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城徹藤田晋著より。
見城氏のことばだった。このあとには「憂鬱こそが、黄金を生む」と続いていた。また、その直前には「憂鬱なことが3つ以上ないと、かえって不安になる」ともあった。
こんなことは、誰も考えないのではないだろうか。気が小さい私など、憂鬱なことが一つでもあれば不安になってしまう。
氏は悩みがあって、それを乗り越えるところに前進があると考えていた。それは理屈では分かるが、実際その場になるとうまく避けて通りたいと思ってしまう。
氏は実に積極的な人間なのだろう。「迷った時は、前に出ろ」が信条だという。42歳のときに角川書店を退社して、幻冬舎を立ち上げたときが最大のリスクだったと振り返っている。
まだまだ楽な生き方もあったはずだが、闇の中で、力いっぱいジャンプしたと述懐している。だからこそ今があるのだろう。凡人にはなかなかできないことだな。

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暗中模索にだけ、価値のある世界。
「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城徹藤田晋著より。
(前日のつづき)
これは藤田氏の言葉だった。いま行っているネットビジネスは、ある意味憂鬱な仕事だと言う。歴史も浅く先が見えないからだった。
手探り状態にならざるを得ない。悩みや苦しみ、痛みを感じながら仕事をしているようだ。だからこそ、いろいろな可能性もあるので、そこに価値があるともいう。
前日のフレーズでもとりあげたが、誰もが簡単に(=楽して)思いつくアイデアなど何の価値もないのだろう。
一度ネットで成功すれば、簡単なように見えても、それを生み出すまでには苦労も重ねなければならないのだ。大事なのは執念や執着心らしい。

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コミュニケーションの基本は、相手の心に触れることである。
「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城徹藤田晋著より。
見城氏のことばだった。よく利用するホテルではホテルマンに天気の話で話しかけてくるという。氏にとってはそんな表面的な言葉に苛立ちを覚えるという。
テルマンだったら、サービス業なのだから、そんな安易なコミュニケーションはつまらないと考えていたのだ。
確かに相手の心に響く言葉はよほど吟味しなければ出てこないものだ。例として「今日のネクタイは初めてですが、素敵ですね」などのほうがいいらしい。
そして、そんな言葉はなおざりでない観察や心遣いから生まれるものだった。何らかの身を削る努力がなければ、相手の心を動かせないのだ。
端的に「対人関係における努力とは、つまるところ、サービスである」と表現している。まさにその通りだと思った次第だ。

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守られなかった約束とは、ただの嘘である。
「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城徹藤田晋著より。
藤田氏の言葉はいつもわかりやく本質をついている。これもその代表だろう。人はしばしば「今度、飯でも(飲みにでも)行きましょう」と言ったり「またみんなで集まろう」などと年賀状に書いてあったりする。
しかし、それが実行に移されたことはほとんどないものだ。言った方は単なる外交辞令で言ってるのだろうが、そんなムダなまたは無責任な言葉は吐く方が悪いと言える。
しかし、そんな言葉を簡単に吐く人を信用したくはないものだ。見城氏は何度もそんな嘘をつかれたことがあるようだ。
もし、一緒に仕事をしても満足できるような結果は期待できないと思える。あらゆる人間関係は、信頼で成り立っているから、守られなかった約束は、即嘘ということになるのだろう。守れない約束などするものではないな。

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体が止まるから、頭が止まる。
「あせらず、止まらず、退かず」中谷彰宏著より。
この部分のタイトルの一部だった。そして、一行目には「勢いとは、エンジンでいえばアイドリングのようなもの・・」と語っていた。
なるほど、アイドリングをしていればこそすぐに動ける。アイデアが出ないからと、机にへばりついてうなっていても、動かない人にいいアイデアなど出てはこない。
イデアが出ないときこそ動くべきだったのだ。何かをやっているうちにふと思いついつくこともある。
そういえば、先日ある人の名前を思い出せなかったが、行きつけの風呂屋で風呂上がりにマッサージをしてもらったら、すんなりとその人の名前が思い出せたのだ。きっと血のめぐりがよくなって頭まで血がまわったからだろう。
動くと体が温まり、頭が温まるようだ。確かに冷えた状態ではいいアイデアなど浮かびそうにない。ピンチの時には動いたほうがいいらしい。
ポイントは量をこなし、スピードをあげることで、成功例もたくさん生み出していけるということだった。

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いかに「身近な人で、尊敬できる人」に気づくことができるかが大切。
「あせらず、止まらず、退かず」中谷彰宏著より。
尊敬できる人というだけで、歴史上の人物や偉人などを思い浮かべがちだが、実際に会ってはいないので実感はないかもしれない。
それはたいてい書物や人の言葉を通じたもので判断したものだろう。一番身近に感じられるのは、実際に会ってコミュニケーションできた人だろう。
ある人の頑張りを見て、尊敬できればいいのだろう。中谷氏は「尊敬すべきは、その人の、姿勢であり、心意気」だという。また、誰を尊敬するかで、自分の価値軸もわかるという。
尊敬する人がいない、というよりむしろ見つけられないのだともいう。氏が尊敬できるポイントが7つあった。
1、腰が低いこと。2、一生懸命であること。3、長く続けているものがあること。4、サービス精神があること。5、いつもごきげんであること。6、速いこと。7、仕事量や勉強遼が多いこと。だった。

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「ムダになった努力」が、運になる。
「あせらず、止まらず、退かず」中谷彰宏著より。

運がいいとは、必ずしも効率的にできていることではないらしい。こうしたらうまくいくんじゃないかと思ってやってもうまくいかなかったということもある。
しかし、それはムダになったようでも、運につながっているという。効率よくやって運も強くなりたいと思うのは矛盾していることらしい。ムダを恐れてはいけないのだった。
運を強くするために、あえてムダなことにチャレンジするというのもありらしい。そして、失敗して別の方法もあると気づけるのだ。
そんなところに成功のパターンがあるらしい。初めからうまくいくことなんてほとんどないと考えた方が気が楽だ。やることで、次にやることが見えてくるとも言えそうだ。