僕にとってなにより重要なのは「極端」であることだ。

「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城徹藤田晋著より。
こう語ってるのは見城氏だった。こうこれだけで、熱い人間であることが伝わってくる。極端であるからこそ、オリジナリティーが生まれるとも言えそうだ。
また当然ながらインパクトもある。人を惹きつけるのもそれがあるからこそだとも言える。当たり前のままったら誰も関心を持ってくれない。どれだけ人と異なったことができるかがポイントだと思える。また極端を生み出すには圧倒的な努力が不可欠だった。
氏が1993年に会社の設立登記をしたときに、電車賃を節約するために代々木の自宅から会社のある四谷まで徒歩で通ったという。
そして、年末年始の休みの間中、書いてもらいたい書き手に毎日、便箋7,8枚の依頼書を書いていたのだ。朝9時から夜中の2時まで書いていたというから驚きだ。実に極端なことがうかがえる。そんな自負が氏を支えていたようだ。
また恩返しも、極端なくらいするようだ。そうしなければ、相手の心に響かないからと考えていたからだ。中途半端な恩返しは意味がないようだ。そこで人間力の差がつくらしい。考えたいものだ。

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結局、人は自分のスケールでしか、物事をはかることはできない。
「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城徹藤田晋著より。
これも見城氏の言葉だった。しかもシンプルでわかりやすい。気持ちの大きな人というものはいるもので、それは時には大物とも表現されることもあるだろう。
私などのような小さい人間には考えられないことも、スケールの大きい人は軽く考えて実行してしまうのだろう。そんな時はただただすごいとしか言いようがない。
世の中を動かすような、生まれつきスケールの大きい人はいるのだろう。見城氏が成功すると、同業者からは「あいつは、たまたま運がよかったのだ」ともいわれたらしい。
しかし、氏は血の滲むような努力をしたからだと考えていた。圧倒的な努力など人にはわからないからだ。なぜ、彼らは運というのかがわかったようだ。
それは彼らが本当の努力をしたことがないからだと考えたのだ。結局自分のスケールでしか考えられないからだ。見城氏のような極端な努力は人には理解できないのだろうな。

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