小さなことを守れないやつに、大きな仕事などできるはずがない。

「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城徹藤田晋著より。
見城氏のことばだった。まずこの本のタイトルからして実にユニークだった。話言葉がそのまま題名になっているようだ。氏が徹底しているのは、どんな小さな約束でも必ず口にだしたことは相手が誰であろうと守るということだった。
氏の考えの根底には、「あらゆる人間関係は、細かい情が基礎になっている・・・」ということがあるようだ。やはり人間は感情の動物だから、ちょっとしたことでも意外に気になるものだ。
仕事ではそのちょっとしたことを大事にすることがスタートだった。ここで面白い略号を使っていた、それはGNOだった。つまりそれは義理、人情、恩のことで、それを知らなければ、何ごともうまくいかないという。
小さいことにくよくよするな、とはよく言われるが、むしろその逆で仕事ではくよくよすることで相手の心がつかめるとも指摘していた。面白い気づきだ。

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そもそも電話をかけるというのは、非常にぶしつけな行為だ。
「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城徹藤田晋著より。
まさに、今パソコンに向かってこれを書いているときに、電話がかかってきたのだ。何かと思えば、ダイレクトメールの宣伝だった。即断って切ったが、やっていることを中断せざるを得ないのは、いつも実に邪魔なものだと思っている。
電話をかけられるのも嫌いだから、こちらからかけるのも実に億劫だと感じている。電話は相手がどんな状態かもわからない。そういえば、2時間ほど前に食事をしているときもDMの電話があっt迷惑だったものだ。仕事にせよ食事にせよ、趣味にせよ、中断させられるのは実に腹立たしい。
見城氏は、コミュニケーションは、関係に上下があることが多いから、それをきちんとわきまえないといけないという。そこのところをどれだけデリケートになれるかによって、相手に与える印象は雲泥の差がついてしまうらしい。気をつけねば。
これは、実際に会っている場合だけでなく、ネット上でも言えることだろう。第一印象はかなり後まで残ってしまうものだ。気をつけねばと、思った次第。

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一般的に言う「努力」など、その名に値しない。
「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城徹藤田晋著より。
努力を評価するのは、常に他人だということを再度認識する必要がありそうだ。見城氏にとっては、「努力」とは、それは圧倒的なものになって、初めて「努力」と言えるそうだ。
それは、人が足元にもおよばないほど、行った凄まじい努力のことを意味していた。氏は20代のころ憧れていた石原慎太郎さんと仕事をしたかったという。
そこで、見城氏は「太陽の季節」と「処刑の部屋」の全文を暗記し、初対面の時、石原さんの前で暗唱したという。こんなことは誰にもできない、また考えたりもしないことだろう。
すると、石原さんは「わかった、もういい。お前とは仕事をするよ」と言って苦笑したそうだ。つまり圧倒的努力は、いつか必ず実を結ぶと信じているようだ。努力とは並みの人間ができないことをやってしまうことだった。
しかも、石原さんは見城氏が会社を作ったばかりの頃、「もしも、まだ俺が君の役に立つなら、何でもやるぞ」とまで言ってくれたそうだ。その後大ミリオンセラー「弟」だ誕生している。かなり前に読んだが、迫力を感じたものだった。

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あらゆる仕事は、価値を生み出すために行うもの。
「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城徹藤田晋著より。
これは藤田氏が考えていることだった。価値や付加価値は絶対なければ、相手を動かすことはできないだろう。もちろん価値の重みは相手によってさまざまなことは確かだろうが。
とくに付加価値は競争相手との差のことだという。これは実にシンプルでわかりやすいたとえだった。相手と同じではゼロだった。どれだけ相手を上回ったかで価値が生まれることになる。
当然ながら、価値を生み出すためには相当の努力がなければ、無理だ。他の誰もが思いつかないようなことが仕事に結びつくのだろう。
一番価値があるのは、ほかの誰もが真似ができないことだった。なんの苦労もなく思いついただけの仕事やアイデアなどほとんど価値がないものだ。それは誰でもが思いつくありふれたものだからだ。

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仕事をサボることは、人生をサボることだ。
「あせらず、止まらず、退かず」中谷彰宏著より。
この部分のタイトルが上記のフレーズだった。そして、その一行目には「経営者として最も大切なことは、社員をドキドキさせることです」とあった。
私はこのドキドキをワクワクと置きかえてみたいと思った次第。ドキドキというとなんだか不安のような印象を持ちやすい。ワクワクなたなんだか楽しい感じが伝わってくるからだ。
また、ドキドキできることは、誰でも一生懸命します、というが仕事でワクワクできればそれ自体で楽しんでいることになりそうだ。
中谷氏はやっていることが、仕事という意識があまりないらしい。肩書や職業を聞かれても職種の意識もないのだった。ただ自分の人生を生きているだけという。
仕事だと思えば、そこには手を抜いたりサボるという意識うあ義務感もあるだろうが、人生だと思えばそういう考えはなくなるそうだ。いずれにしても、ワクワク仕事ができれば一番ありがいと思えるな。

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豊かで潤いのなる人生を送れるかどうかは、経験欲で決まる。
「あせらず、止まらず、退かず」中谷彰宏著より。
また同時に人をドキドキさせられるかどうかも、経験欲があるかどうかで決まるらしい。それはある意、味変化とも言いかえらそうだ。
一般に物欲・金銭欲を通り過ぎると、経験欲が生まれるらしい。経験欲は別の言葉では名誉欲や出世欲とも言われるものだろう。旅行は経験欲の最たるものらしい。
そんないろいろな体験は人を成長させてくれるものだろう。いくらいい服をたくさん持っていても、それを着て出かけるところがなければ意味がない。つまりそれが経験とも言える。
仕事なんだから仕方ないと思ってやるか、その目標にチャレンジしようと考えるかは大きい違いだった。ちょっとした気持ちの持ちようでイキイキを過ごすことがでるようだ・

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エネルギーは、自分や未来を変えることにそそごう。
「あせらず、止まらず、退かず」中谷彰宏著より。
ここでのタイトルは「他人と比較するより、過去の自分と比較しよう」となっていた。いつまでも負けたことを引きずっていても、意味がなかった。それは過去を変えられないからだ。
もし、過去に10点差で負けても、8点差になれば、2点地縮まったことになるから、成長したとも言える。つらくなる比較は意味がないらしい。むしろエネルギーは未来のために使うべきだったのだ。
過去の自分と比べてどれだけ成長したかにポイントを置くべきだった。そうすれば、エネルギーの使い方がラクになるという。落ち込むこともなくなるようだ。