若々しく装うことが内面から若返るためのいちばんの近道。

「熟年革命」渡辺淳一著より。

昔から言われる言葉に、「馬子にも衣装」があるが、これはつまらない者でも、外面を飾れば立派に見えるという意味で、皮肉な言葉になっている。
しかし、これをむしろ積極的な意味でとらえるべきだと筆者は語っていた。とくにプラチナ世代には有益らしい。外見をそれらしく整えれば、心も自ずとそれに近づいてくるからだった。
日本では昔から、男は見た目じゃない、大事なのは内面だとは言われてきた。しかし、内面を変えるのは大変だが、外見なら簡単に変えられる。
年だからといって、地味で目立たない服装では、年齢以上に老けて見えてしまうようだ。むしろ定年後の拘束されない自由の時間を得たのだから、ファッションを楽しむべきだと提案している。参考にしたいものだ。

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プラチナ世代はいい意味で享楽主義、遊び主義に徹していくべき。
「熟年革命」渡辺淳一著より。
(前日のつづき)
渡辺氏は六十歳を過ぎたら、内面よりも外見を重視して、思いきりおしゃれをして遊びまわりましょうと提案していた。
もし、貯金通帳の数字だけ眺めているのでは、いたずらに月日は過ぎてしまうともいう。それでは人生が味気ない。大事なのは気力や好奇心だった。
むしろ顰蹙を買うくらいの着こなしでいいともいう。それができれば立派なことらしい。年相応という言葉もあるが、それでは人生も輝かないようだ。
臆面もなく、年甲斐のない恰好をどれだけし続けられるだろうか。それができれば年相応の概念も打ち破れるのだった。自分らしさをどれだけ表現できるかが大事なのだ。
年甲斐のないファッションは生命力の現れだともいう。なるほど、それを実行するためにはそれなりのエネルギーもタフネスも必要だ。輝くためにはそれが必須条件かな。

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才能は他者からの働きかけで目覚めることが多い。
「熟年革命」渡辺淳一著より。
ここでの働きかけとは、ホメることを指していた。渡辺氏自身のの例もあげていた。それは中学一年生のとき、国語の時間に書いた短歌がホメられたことがキッカケで国語が好きになったという。
このように言葉によって変われることもあるのだ。その後文学に目覚めたのだから、ホメられて図にのるということが大切だと説いている。
また、「才能がない」と思う人は、うまく引き出してくれる人との出会いがなかっただけともいう。人は言葉によってかなり変わってしまうものだったのだ。
コミュニケーションも当然ながら、言葉によるものが多い。そこで、注意しなければならないのは、自慢話だった。ほとんどの人はそれを聞くのが嫌いだからだ。
むしろ失敗談やいかに間抜けであるかを話したほうが、好感を持ってもらえるようだ。そうすれば、面白くてお茶目だと思ってもらえるのだ。でも、意外に難しいかな。

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人は群れて生活する動物なので、一人でやる気を維持するのは厳しい。
「脱力系!前向き思考法」齋藤孝著より。
なにか頑張ろうという前向きな気持ちになるのは、やはり人と人がからんだ時と言うことだそうだ。そう言われれば、一人ではだらだらと過ごしてしまうものだ。
ここでの小タイトルは、だらつきミーティングで、やる気をプールする、となっていた。徹底的にくだらない内容でも、そこに人が集まって関わることで、生きていく元気が生まれてくうのだった。
ここには、太字で「前向き思考の母体は、必ずしも生産的でなくてもいい」ともあった。そういえば、ふつうの飲み会や忘年会で親しい友人と飲み交わすだけでも元気にはなれる。
極端な場合では、喫煙ルームや休憩室でくだらない話をするだけもよかったのだ。友だちがいないと実に寂しいものだな。

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考え抜いて見つけたものはゆるがない。
「脱力系!前向き思考法」齋藤孝著より。
これは「奇跡のリンゴ」ということについて述べられているコラムの部分にあったもの。ノンフィクションで有名になり、映画にもなった。数年前に本でも読み映画でも観たが感動的だった。
木村さんは、苦労を重ねてリンゴの無農薬栽培に成功していたが、本当に大変だったことが伝わってきた。バカになって考え抜いたからこそ発見できたのだ。
厳しい生活であっても、こだわりつづけてやり通していた。自分ががんばったというより、リンゴの木が頑張ったともいう。
考え抜いて不可能を可能にしたという点では、ノーベル賞を受賞した中村修二さんとも共通しているようだ。何ごともバカにならなければ、奇跡と言われることは起こらないものだ。

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アウトプットを意識することで、長続きして形になる。
「脱力系!前向き思考法」齋藤孝著より。
この言葉に反応したのは、実際今やっているブログやフェイスブックがあるからだった。つまりそれを読んでくれる人がいるから、継続できるとも言える。ここにはインプットだけでは自信にならないとあった。インプットを増やしてもアウトプットの量が増すわけでもなかった。
確かに、本をたくさん読んでもその感想やコメントを書くことはまったく別なことだった。また評価もすぐにできるわけではない。ある意味問題は解けても、その問題を作るのはさらに難しいともいえるのだろう。
前向きに取り組むためには、アウトプットのほうが大事だったのだ。英語の本や英会話を学んでも、流暢に話せるようにはならない。実際にネイティブと試してみなければわからない。
話がそれてしまったが、自己表現できるようになると、気持ちがいいものだ。だから、アウトプットできる機会や場所を持っていることはいいことだったのだ。
絵を描いても、自分で眺めていてもつまらない。展覧会に出品しなければ評価はしてもらえない。また、いくらいいカメラで写真を撮ってもそれを見てくれる人がいなければはりあいもない。とくにネットでFBをやって気がついたが、すぐに反応があって面白いものだ。

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リスペクトしている人の姿に、自分をアイコラする。
「脱力系!前向き思考法」齋藤孝著より。
アイコラという言葉自体まったくなじみがなかった。これはアイドルとコラボレーションを組み合わせた言葉らしい。つまりこんな人になりたいという理想の人やリスペクトする人の考え方や行動を真似てみるということだった。
表情や話し方行動様式をなりきってみるものいいようだ。一定量を超えて浴びるように見続けると、それがしみ込んでくるらしい。これがアイコラ状態に入ったということだった。すると結果的に仕事でもいい影響が現れるという。
また、影響されやすい自分をつくっておくというのも悪くはないらしい。他人にすぐに影響されるのはよくないことだと言われるが、必ずしもそうではなかった。
アイコラする相手は業界が違っていてもよかったのだ。繰り返し見ることで自分の仕事にもオーバーラップしてくるのだった。斉藤氏はミュージシャンを見て、自分の仕事にオーバーラップさせることもあるという。
「あの年になっても、あんなにピュアに仕事ができるのだ」とか「これだけの日数しかなくても、あそこまで仕上げてくるのだ」と感じるらしい。すると前向きに仕事に取り組もうという気にもなるという。
まあ、別にアイドルでなくても、人のいいと思ったところは、いくつでも取り入れていって、自分のスタイルにできればもうけものだろうな。

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人間には、一生の間でしなければならない失敗の量がある。
「オンリーワンになろう」中谷彰宏著より。
サブタイトルには、「クラブ王に学ぶ62の成功法」とあった。ここでのクラブとは銀座で繁盛している双子のママがやっている「ふたご屋」という店だった。どちらがナンバーワンとはわからないが、どちらもオンリーワンらしい。
この経験を通してママの言葉によると、「成功する方は、チャレンジする精神をいつも持っているチャレンジャーですね」と語っている。これが率直な実感らしい。
中谷氏の言葉では、いろいろなビジネスで成功している人の共通点は、20代はとことん失敗だらけだという。
ママは「失敗する量がかなり蓄積されてくると、それをノウハウとして、今度自分に生かしていけるんですね」とも語っている。要するにそれをノウハウにできるかどうかが分かれ目とも言えそうだ。
ギャンブルでも強い人は、初めからそうだったわけではない。負けることでかなりの投資をしてきたのだ。そして、勝つためのノウハウを身につけたのだ。習い事にはすべて「お月謝」がいるということだった。

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アンテナをたくさん持っていると話題をふれる。
「オンリーワンになろう」中谷彰宏著より。
クラブの仕事ではプライバシーに触れないで、話をするのも技がいるらしい。たとえば「何をやっているんですか」などはよくないらしい。確かに根掘り葉掘りされると気分は良くないだろう。
ママによれば、まず今日あったことを話すという。そのためには新聞を読んでおくことだった。そこにはさまざまなネタがあるからだった。天気、芸能でもよかったのだ。
そこから、いろいろな接点を見つけるそうだ。その接点のアンテナが広いかどうかは人によってかなり違っているようだ。こんなことは、別にクラブに限らず一般の会話でもいることだ。
とくに知らない人とのコミュニケーションは難しい。ここではサイコロを振る、という表現があった。つまりそれは話題を提供するということだった。そのためには、いっぱいアンテナを持っていることが必要だったのだ。日々の努力が大事だということなのだろう。

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雑談はインプットの量が勝負だ。
「オンリーワンになろう」中谷彰宏著より。
ふだんでのコミュニケーションでも雑談はしているものだ。雑談とは言っても、クラブでは職業を聞くような職務質問は、雑談ではなかった。
クラブは異次元だから、現実を思い出させないことがポイントらしい。お客は非日常の世界に来ていることを忘れてはならいのだ。
クラブは接待の場所としても利用される。そこで、「どういうご関係?」とおう質問もダメだそうだ。それでは急に接待の現実に引き出されるからだった。聞いてはいいことといけないことも経験から学ぶしかなかった。
ママの志保さんは、初めの頃は聞いてはいけないことをお客に質問して、テーブルの下でお姉さんホステスから草履でキックされ教えられたそうだ。今ではそんなコワイお姉さんはいないらしい。
だからと言って、あまりにもマニュアル通りでは面白くもない。まずはルールを覚えてからルールを崩すということがポイントのようだ。