転ばぬ先のつまようじ。

団塊生活」弘兼憲史著より。
弘兼氏はまさに団塊の世代だった。だからこんなタイトルにしたのだろう。私自身はそのあとの世代になるが、共感するところはほとんど同じだった。
この本のサブタイトルには“転ばぬ先のつまようじ”とあった。杖ではなくつまようじというのが面白い。それには理由があった。杖とは用心するということで、しばしばお金と考えてしまうことが多いらしい。しかしここではお金のような物質ではなかった。
物質として考えると、それはどんどん大きくなってしまって、太くなち持ち歩けなくなってしまうと考えたようだ。なるほどとも思える。細い杖だと折れてしまうかもしれないが。
そもそも転びそうになった人は一本の杖では無理だという。立派な杖でなくても心構えができていれば、つま楊枝程度でも大丈夫だということらしい。それは価値観や発想を変えることで可能だという。
つまり人と比べることなしに、発想の転換をすすめている。ほどほどのお金で自分なりに楽しむという意味にも考えてよさそうだ。

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とにかく、第二の人生は「自分のために、自分なりに生きる」べきだ。
団塊生活」弘兼憲史著より。
こんなふうに言われると、実にうれしくなってしまう。また別のページには似たようなフレーズで、「第二の人生のキーワードは、気楽に無責任に楽しむ」ともあった。
要するに周りに迷惑をかけなければ、自分のすきにやったっていいじゃないかとも語っている。確かに責任から解放されたら、自由に生きた方が楽しいに決まっている。
発想や価値観を変えるためには、それをある程度意識してやらないとできないだろう。常に自分に、これでいいのだと言い聞かせておくこともいいのかもしれない。
ささやかながらも、時間とお金を使いながら自分の好きなことに没頭できたら、ハッピーだとも思える。基本は健康であることだと痛感しているが。弘兼氏のことばは今の自分を後押ししてくれるような気がした次第。

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「ま、いっか」「それがどうした」「人それぞれ」
団塊生活」弘兼憲史著より。
これは弘兼氏のモットーだった。以前、新聞でも同じ言葉があったのを思い出した。その時もフレーズとしてとりあげていたが、再び肝に銘じたいと思った次第。
「ま、いっか」は、自分の気持ちが少し落ち込みかけたときに、割り切る気持ちを表わしていた。「それがどうした」は開き直ることだった。「人それぞれ」は達観することだった。
定年になると、多くの人は役職、収入などを失ってしまう。だから定年は失うことが多いと考えてしまうことがある。しかし、逆に得られるものもある。自由時間が増え今まで振り返ることができなかったことを見直す時間だ。責任もなくなり、心も解放される。
一つの会社でできることは限られるが、自由になれば発想も広がりそうだ。今までじっくり見られなかったものも見る余裕ができてくる。何もしない自由も何をしてもいい自由もあると考えたい。
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人間は明日に生きるべきであって、過去に生きるべきではない。
団塊生活」弘兼憲史著より。
「いらない過去は、すべて捨て去ってしまおう」と語っているが、これがなかなか難しい。今までこつこつと集めてきたものを一気に捨てる勇気はまだない。
自分の持っている不要なものは捨てるべきだとは思う。本がその代表だろう。昨年思い切って数百冊はまとめてゴミに出したものだ。しかし、まだままだかなりある。
まず、捨てるものを選択するのが大変時間がかかりそうだ。なくしたくないものが多ければ、それは前進しようとするエネルギーの妨げになるらしい。
嫌でも時間はどんどんなくなってしまう。第二の人生はやはり前日のフレーズでとりあげたように、「ま、いっか」「それがどうした」「人それぞれ」で楽しく生きたいものだな。