人間は、まだ満ち足りていないからこそ、ささいな出来事に感動できる

『本当の幸福を得る「唯一の方法」』森永卓郎著より。
ここでのタイトルは「人間が一生懸命に働くとき、お金はその理由の一部に過ぎない」となっていた。これはロナルド・ドーア(1925〜)イギリスの経済学者の言葉だった。
単にお金のためだけに働くなら味気ないものだ。必要以上のお金があればきっと浪費してしまうものだろう。しばしば高級時計や宝石が売れるものだが、それらは生活にはまったく関係がない。単なる自己満足や人への自慢のネタだろう。
むしろ少ない収入でも、やりくりして欲しかったもの、必要だったものを手にした時のほうが喜びは大きいはずだ。
仕事では、働くことが楽しいと思えなければ苦痛だろう。楽しめれば、苦痛とは感じられないものだ。低収入でもやりがいのある仕事につけたほうが幸せだとも思える。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人生最大の喜びは、周囲に「君には無理だ」と言われたことを実現することだ。
『本当の幸福を得る「唯一の方法」』森永卓郎著より。
これはウォルター・バジョット(1826〜1877・経済ジャーナリスト)の残した言葉だった。確かにこの言葉が実現できれば気持ちがいいことだろう。
森永氏の友人に、こんなことを実現した人がいたのだ。それはおもちゃコレクターの北原照久氏だった。ブリキのおもちゃを集めている人間が、かつては皇族だった人の別荘を手に入れるとはだれも思わなかった。
それは海岸沿いに建てられたアールデコ調の白亜の豪邸だった。以前何かの雑誌で写真を観たことがあるが、すごく贅沢な建築物だった。いまだに印象に残っている。
北原氏が「いつかこんな家に住んでみせる」といってもまわりの人は相手にしなかったようだ。しかし、その時の悔しさがバネとなって最終的には成功していたのだ。森永氏は、反骨精神が人を育てる、とも語っていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

静かに行く者は健やかに。健やかに行く者は遠くまで。
『本当の幸福を得る「唯一の方法」』森永卓郎著より。
レオン・ワルラス(1834〜1910)、フランスの経済学者の残した言葉だった。これだけだとあまり意味がピンとこない。そこで、森永氏は別のわかりやすい言葉を例に出していた。
それは「より速く、より高く、より強く」というオリンピックのスローガンだった。世界中のすぐれたアスリートたちはこれを目指している。
先日、体操の世界選手権が行われていたが、それを見ていると、以前に比べて実に困難なと思われる技が増えていた。つまり高難度の技をどんどん開発して身につけていたのだ。
どこまでが限界かはわからなくなってしまう。やはり超一流のアスリートは、常にイメージを膨らませて、より高いレベルに行こうとしているのがわかる。
内村選手などは、金メダルを獲得して、外からみてすごいと思っていても、本人にとってはまだまだ満足ではないというような言葉を残していた。やはり自分でなっとくの演技ができなければまだまだということなのだろう。
森永氏は、一般の人には「より静かに、より健やかに、より遠く」のほうがふさわしい、と語っていたが、まさにその通りだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人生において、幸せだけを求めていても、永遠に幸せにはなれない。
『本当の幸福を得る「唯一の方法」』森永卓郎著より。

幸せは人それぞれで、何が本当にいいのかはわからないものだ。むしろ何か目標に向かって夢中になっているとき、努力をしていて、何もかも忘れているときかもしれない。
または、その途中でふと立ち止まって、ほっとしたひと時だったりするものだ。森永氏は幸せは人生の目的ではなくて、人生がたどりつく結果だともいう。
小さなことでも幸せを感じることはたくさんあるものだ。森永氏はコレクションの新しいミニカーを手に入れたときも幸せを感じる時だという。またコンビニで買ったお茶のおまけグッズでも感じるらしい。
もし、いまの自分なら何に幸せ感があるかとふと考えてみた。やはりコミュニケーションがうまくいっている時かもしれない。一例をあげるとすれば、デジカメで撮った写真をFBにアップしてそれに共感してくれる人が多いと嬉しいと感じるものだ。
大きな幸せはどんなものかは実感がわかないが、小さな幸せ感をいくつも持っていたいと思っている。そのためには何らかの行動を起こさねば無理だろうな。