学習力がないと、人間はとまってしまう。

「昨日と違う自分になる学習力」中谷彰宏著より。
仕事も3年経てば1年の仕事の繰り返しはほぼマスターできるという。場合によっては3年もかからないかもしれない。その後はマンネリになるかもしれない。
そこで新鮮な気持ちでいるためには学習することだった。教える側に回って初めてわかることもある。つまり誰かに何かを教える時に学習できるということだった。
だから、生徒から学ぶ姿勢のない先生には、学習力がないとも言えた。そして、生徒から支持される先生には、学習力があるという。
一流のセールスマンはお客様から学ぼうとしているようだ。またサービスマンも同様だった。学習力がなくとまってしまった人間には無力がなかったのだ。

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「違う世界の成功者」から学ぶ。
「昨日と違う自分になる学習力」中谷彰宏著より。
同じ業界からだけしか学ぼうとしないと、視野が広がっていかないとも思える。それは学力で生きているということらしい。
また、まったく違った業界だからこそ参考になることもあるのだ。そういう人は学習力があるとも言えた。同じ業界からだけしか学ばない人は、その業界ではトップにはなれない。
水泳のイワン・ソープ選手は「晩ごはんは、できるかだ違う業界の人と食べて、その人から学びたい」と言っているそうだ。スポーツ選手がビジネスや減術の世界の人と交流を持とうとしているのはすごい。
むしろトップになれない人は、ほかの業界の人を見下ろしているところがあるようだ。すぐれた経営者は歴史小説や中国の古典など幅広く読んでいることにも気づく。

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野球の話を仕事に置きかえて読む。
「昨日と違う自分になる学習力」中谷彰宏著より。
(前日のつづき)
ここではメジャーで活躍した長谷川滋利投手のことをとりあげていた。彼が一流なのは、知性派で、本をたくさん読んでいるからだった。
その本は野球の本よりもビジネス書だった。ビジネスの話を野球に置きかえて読んでいたらしい。一流の人はあらゆる本を自分の専門分野に置きかえて読むことができるのだった。
つまりそれが学習力というものでもあった。学力は暗記であって、専門分野に生かすためには学習力が必要だったのだ。
筆者はレストランの研修では、レストラン業界の話はあまりしないそうだ。わざとホテルや美容院、病院など別の業界の話をするという。
別の分野のことを自分の専門分野に置き換えることで、意外なヒントが見つかるのだろう。日常生活のことも、本業に生かせるというのもわかる。