「○○のせい」にして責任逃れをした時からすべては終わる。

朝令暮改の発想」鈴木敏文著より。
まずは、この本のサブタイトルには、“仕事の壁を突破する95の提言”とあった。つまり、仕事でよりよい結果を出すために必要だと思われることのヒントや提案があったのだ。
消費不況は不景気のせいだ、と考える人が多いが、必ずしもそうとは考えられないという。というのは、不景気でも新しい価値があると感じたものには進んでお金を費やすからだった。また、トップと言われるセールスはそんな時期でも売れている。
そこで、鈴木氏はものが売れないのは、まだ顕在化していない消費者のニーズを掘り起こすような商品やサービスを提供できていない自分たちに責任があると考えていたのだ。
売れない原因が不景気なら、景気が回復したときに、今まで通りのやり方で売れるのでしょうか、と問うている。何かのせいにして妥協したら、それで終わりと語っていた。結局創意工夫、努力が足りないということを反省すべきなのだろう。

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増幅する「顧客の期待度」を上回る価値を提供する。
朝令暮改の発想」鈴木敏文著より。
顧客のロイヤルティを得るのは容易ではない。質の高い商品、品揃え、鮮度、接客、サービス・・・数え上げたら切りがない。コンビニに限らすすべての商売には言えることだろう。
ほんの一つ欠けただけでも、顧客としては不満足になってしまう。常に顧客のロイヤルティを継続していくのは大変なことだ。
顧客から見れば100点のレベルで当然だということになる。店はそれを上回る120点で満足してもらえることになる。
しかし、いつまでもその120点どまりでは顧客は満足してもらえなくなる。常に顧客の期待以上を維持するのは並大抵のことではない。
それまでの満足は「あたりまえ」になってしまう。つまりマンネリということになる。それではいつかし顧客は離れてしまう。必要なのはたえず挑み続けるとこだったのだ。

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売り手の「好都合」は買い手の「不都合」。
朝令暮改の発想」鈴木敏文著より。
コンビニに限らすすべての商売には言えることだろう。
実にきつい言葉に思える。たとえば、大量生産で大量消費ならいいのだろうが、なかなか顧客の側からはそれでは満足できないことも多い。
例としてパンがあげられていた。大きい工場で大量生産すれば生産性はあがるので、売り手には好都合だ。しかし、配送に時間がかかるので鮮度は落ちるので、買い手にとっては不都合になる。
どちらにとっても都合がいいことは極めて稀ケースなようだ。顧客はおいしいものを求める。ところが、それには別の意味があると鈴木氏は指摘している。
それは飽きるということだった。いくら美味しいものも続けて食べていると飽きがくる。美味しいものほどその傾向が強いらしい。
いくらヒット商品になったからといって、いつまでも続くとは限らない。いずれにしても売り手の都合で、買い手が退屈や苦痛を感じたらも終わりだろう。
必要なのは常に顧客の立場で考えることだった。売り手側の押しつけになっていないかを、まず考えることが必要らしい。

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どんなちっぽけな人生にも「やみつき」の要素はあるはず。
『「ヤミツキ」の力』廣中直行・遠藤智樹著より。
ふだんあまりヤミツキということは意識したことはない。でも、振り返ってみれば意外にも何かに熱中していたことはあるものだ。
たとえ平凡な日々を過ごしていても、読書をしていたり、その読書もミステリーが多めだったりすることもある。文庫本、単行本、雑誌も似たり寄ったりだったものだ。
個人的なことだが、かつて社会人になりたての頃は、森村誠一の社会派推理小説に凝っていた頃もあった。まさにヤミツキといってもいいくらいだった。
夢中になって、電車を乗り越したり、寝食を忘れることもあった。しかし、それは後から考えれば10数年で終わっていた。
その前には絵画に夢中だった頃もある。そんな一時期を過ごせたことはラッキーだったとも言える。最近の若者はスマホのゲームにヤミツキになるようだが、まったく関心はないな。

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「悔しいが、悔いはない」・・・
『「ヤミツキ」の力』廣中直行・遠藤智樹著より。
こんな言葉を言えるのは、「やみつき」の人生を送った人ができる栄光の言葉だそうだ。たとえば、あるスポーツを必死になってやっても頂点に立てる人はごく限られている。
しかし、たとえ頂点に立てなくても、一時期それに夢中になって取り組めたことは大きな財産になっていると思われる。
ヤミツキとは「病み」「付き」と書かれるという。病気で床についたままの状態を意味していた、そう考えると実に重い言葉だったのだ。
しかし、今では楽しい趣味にハマっていることの意味になっている。美味しいラーメンにヤミツキというようなことはよく言われる。つまり美味しいからやめられないということだった。
時間を忘れてしまうほど何かに熱中できる人は幸せだと思える。むしろ、ヤミツキを持たない人より生き生きとした時間を過ごしているものだ。

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自分自身が「やみつき」になっていることを一つ、思い出してみる。
『「ヤミツキ」の力』廣中直行・遠藤智樹著より。
実際にヤミツキという言葉には出さないものの、ヤミツキになっているものはあるものだ。趣味とは言えなくても、毎日のように続けているものや熱中してしまうものはある。
今ならブログだろうか、一度始めたらもう10年も続けていたからだ。また最近ではフェイスブックもそうと言えそうだ。どちらも何かを表現する場とも言えた。
ブログはほぼマンネリになっていることは自分でもわかるが、何となくだらだらと継続してないと気持ちが悪い。FBは身近な写真を撮って残せると同時にそれがコミュニケーション手段にもなっているから面白い。
どちらもそこそこの時間を費やし、また似たようなことを繰り返している。それで損得などまったく考える必要もないのもいいのかもしれない。しかもどちらもタダだった!!

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