ペンは、アンテナなのです。

「昨日と違う自分になる学習力」中谷彰宏著より。
この本のサブタイトルには“向上心がわいてくる54の具体例”ともあった。つまり学習することで向上心がわいているということだろう。
筆者によれば、ペンは単に思いついたアイデアを書きとめる道具ではなかったのだ。メモしたり伝言をするための発信機能と思いがちだ。しかし、受信機能のようだ。
まず、ペンを持つことで、そこに空の上のほうからアイデアが飛んできて、それが紙に書かれるというイメージのようだ。
だから、まずはペンを持たないとアンテナをつけてないのと同じで受信できないことになる。考えるまえにペンで受信するということのようだ。
ペンを実際に手に持っていないと、何も思いつかないが、何でも落書きを始めるとアイデアも浮かんでくることはある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヒラメキをデザインすることで、アイデアになる。
「昨日と違う自分になる学習力」中谷彰宏著より。
ヒラメキとデザインといったいどういう関係があるのだろうと、思ってしまう。ひらめいただけでは、アイデアにはならないようだ。
具体的な例をあげることも、デザインと言えたのだ。デザインとは常に具体的なものであるべきだった。それに対して、ヒラメキはもやもやとした抽象だった。
もやもやした線を具体的にするプロセスの中で、アイデアになるという。たとえば子どもの名前を思いつくのはヒラメキだった。それを苗字とつなげたり、書いた場合にどうなるかがアイデアに変えていくデザインという作業だった。
単に思いついたアイデアは、ヒラメキであって、まだデザインが足りない状態だったのだ。ここでの結論はヒラメキをデザインしようだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
イデアは、今この瞬間にしか存在しない・・・

「昨日と違う自分になる学習力」中谷彰宏著より。

何かいい考えはないかと考えているときは、なかなかいいアイデアは浮かんではこないもの。しかし、何か別のことをしているときに、ふと面白いアイデアを思いついたりする。
それをその場ですぐに何かにメモっておけば忘れにくいし、あとで思い出すこともできる。ところが、あとでそれを思い出そうとしても、すっかり忘れてしまっているものだ。
とにかく、どんな小さなメモでも書いておけば手がかりにはなる。メモはその瞬間が勝負だろう。数分後には頭はほかのことでいっぱいになってしまう。
学習も常に今と言う中にしか存在しないと、中谷氏はいう。そのうちにやろうとおもってもまず無理なことだ。今だからこそ頭に入るのだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

違う本を2冊読むよりも、同じ本を2回読むほうが発見がある。
「昨日と違う自分になる学習力」中谷彰宏著より。
なるほど、そう言われるとそんな気もする。というのも、1回読んだくらいでは、ほとんど忘れてしまって内容が記憶に残っていないからだ。
2度読むと、最初読んだときには気がつかなかったことにも気づくことは多い。時には別の本を読んでいるように思えることもある。
本を読むときにはしばしば線を引くことはしている。ところが、その本を忘れたころに読み返すと、別の個所にも線を引きたい個所がでてくる。
こんなところからも、二度読みの価値があるのだろう。また、同じ本を二度買ってしまったことは何度もあるが、別に損をしたとは思わない。それは新しい発見もあるからだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
学習力は、命令されてないことを考える力・・・
「昨日と違う自分になる学習力」中谷彰宏著より。
筆者は、命令されたことをきちんとこなせるのは、学力だという。それに対して、学習力は、上記フレーズにあげたことだった。
学校教育では、いかに命令されたことを考えるかだった。また命令されること以外は考える必要もなかった。それが社会人になっても続いていて、命令や指示がないと何もできない人も多い。
ここで、筆者は面白いたとえをあげていた。それは、警察と犯罪者では、犯罪者のほうがはるかに学習力があるということだった。
警察は命令されたこと以外は、勝手にやってはいけないからだった。ところが犯罪者は一日中悪いことを考えているという。どうしたら人をだませるか。どうしたら詐欺ができるかなど。
だから学習ということを考えると、犯罪者のほうが上回っているということになる。悪いことではあるが、頭を使っていたのだ。
やはり仕事も命令される前にやったほうが、気持ちがいいしモチベーションもあがる。