隙のない人間なんてありえない。

弘兼憲史のアツイ人生論」弘兼憲史著より。
このあとには、四十代でも五十代でもだ。と続いていた。仕事をしていれば、必ずのようにトラブルは発生するものだ。
自分では完璧だと思っていても、やはり結果的にはちょっとしたクレームは発生したりする。自分の責任ではないことも、対処しなければならないこともある。
若い頃に先輩社員や上司に言われたことがある。それは、失敗しても命までは取られない、ということだった。なかなか自分ではそこまでは考えられないものだ。でも、そんなひと言で気持ちが少しは楽になることもあった。
弘兼氏によれば、隙の少ない人間というのは、隙のあることを認めて、その対処をしてる人間のことだという。その対処の仕方がスマートなのだろう。

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部下に人気のある上司というのは、必ずしも仕事がバリバリできる人ではない。
弘兼憲史のアツイ人生論」弘兼憲史著より。
そうそう、と納得してしまう。上司に限らず同僚や先輩社員でも同様なことが言える。いくら仕事ができても、どうしても人間的に尊敬できない人もいるものだ。
むしろ、その人を見ると安心できたりほっとするような人のほうが人気がある。それは人望というものだろう。とくに自慢をする人は最も嫌われるかもしれない。
すでに承知している事項について、部下から報告を受けた時に、「そんなことは百も承知だ。すでに手は打ってある」とクールに言われることがあった場合。また「それは知らなかった、いいことを教えてくれた。ありがとう」と言われた場合を比較していた。
やはり「ありがとう」と言われた部下は嬉しいだろう。すでにわかりきったことでも、「それは知らなかった。ありがとう」と言えるには勇気もいるかもしれない。
それができるのが優秀な上司らしい。つまりウソも方便というものだった。部下に恥をかかせないということも、上司としての人間の大きさかもしれないな。

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誰でも夢中になったものがある。
弘兼憲史のアツイ人生論」弘兼憲史著より。
確かに無趣味と思われる人もいるものだ。仕事が忙し過ぎて、また生活も苦しくなかなか趣味までやってられない人も多いことだろう。
時間があればやってみたいことも多いはずだ。また同時にかつて若い頃に、夢中になってやっていたこともあるかもしれない。
仕事を離れたところで、自分の世界を持つことは価値があるものだ。経験的にはそれが結果的に仕事に役立ったことも多い。
過去に誰も笛を吹かなくても、踊っていた自分がいたことを思い出せば、またそれに時間を費やすこともムダではなさそうだ。しばしば、それは書棚にあったりする。
特に熱心になって読んだ本は、その当時夢中になったことだったりするものだ。今の書棚には植物関連のものが多い。それによって充実した時間を過ごせているからだろう。

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