知識は、使うことで知恵になる。

「なぜあの人は勉強が続くのか」中谷彰宏著より。
しばしば、知識と知恵を混同することがあるかもしれない。知識は知っているということだが、だからといって知恵があるとは限らない。
知識は使うことで知恵に変わっていくことだった。そうすると応用が利くようになるのだ。英会話も知っていても、相手のいうことが理解できなければ、話すこともできない。どんどん使わなければ知恵とはならない。
筆者は、知識も使うことで知恵になって、それがやがては知性に発展しているともいう。なるほどそうかもしれないな。
ここでのポイントは、知識をきっかけに知恵を蓄積していくことだった。試してみなければ、うまくいくかどうかはわからないのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大人の知性は、好きなもので鍛えられる。
「なぜあの人は勉強が続くのか」中谷彰宏著より。
子ども時代の勉強は好きなことを基準には選べなかったものだ。ほとんどが強制的にやらされていたものだったろう。
しかし、大人になれば好きなことを選んで勉強ができるようになる。するとそこから知性は磨けるということだった。好きなことなら記憶もしやすい。
マニュアルを覚えていても応用がきかないこともある。しかし、好きなことならどんどん前に進んで試すこともできる。筆者は好きなことには類推力があるとも語っている。
好きな勉強なら夢中になれる。そうしている間に記憶力もついてくるようだ。逆のことを考えれば分かりやすい。興味のない勉強は長続きしないものだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
趣味は、自分との対話だ。
「なぜあの人は勉強が続くのか」中谷彰宏著より。

これも実にいいフレーズだと思った次第。趣味ならば、時間をいくらでも費やしてしまうものだ。夢中になれば勉強も遊びと同じことだ。
義務ではないからどんどん詳しくなることもできる。夢を実現した人は、勉強などしてないというらしい。それはその意識がないだけのことだった。
そう考えると勉強は単に何かを覚えるということではないことにも気づく。熱中しているとき自体が楽しいのだ。
仕事とはまったく関係がないと思われる勉強をどれほどしているかが、人生を楽しめる秘訣かもしれない。その時は勉強という意識はないのかもしれないが。