自分は人に見られているという自意識が、若さを保つための原動力・・

「定年力」多湖輝著より。
ここで例に挙げているのは芸能界のスターだった。彼らは年をとっても若々しく輝いて、現役でバリバリと活躍している人たちが多くいるということだった。
確かにその世界には定年はない。また自由業や自営業の人たち、主婦にも定年はなかった。結局定年は勤め人だけのものだったのだ。
芸能人はとくに周囲から常に注目されているものだ。だから常に精神と肉体の緊張があって、それがいつまでも若さを保つ秘訣だろうと、多湖氏は考えていた。
となれば、別に一般の人でもそれなりの緊張感をもっていれば、若さを保てるということにもなるのだろう。
そこで提案されているのが、人が注目すると思われる小物を、一つ持つだけでも気分は代わってくっらしい。ちょっとした小道具を使うというのも手だったのだ。

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「分不相応」といった考え方を捨てる・・・
「定年力」多湖輝著より。
むしろ「分不相応」を求めるなら若い人たちこそだ、というのが多湖氏の考えだった。年配者だからといって、なにも身をちぢめて生きることはなかったのだ。
年をとってもやりたいことをどんどんやるべきだったのだ。むしろ堂々とさまざまなことにチャレンジすることを提案している。
昔よく言われた「年寄りの冷や水」ということばがあるが、そんなことであえてブレーキをかける必要もなかったのだ。やる前に諦める必要はなかった。そんなことは無理と考えない方がいいのだろう。
自分の生きたいように生きることが大切だった。そうしないと、ますます心も体も老化してしまうようだ。頭の中から「年寄り」というイメージを捨てることがスタートなのだな。

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ホメ言葉にバリエーションを持たせる。
「人はホメ技で180度変わる」内藤誼人著より。
何度ホメようと害があるわけではないが、同じことは4回まででやめといたほうがいいようだ。4回でも多すぎるとは思うが。言う方も言われる方もせいぜい2回で十分だと思えるが。
新しいことや表現でホメれば、相手も新鮮に感じられるものだ。同じ言葉では飽きてくるのは当然だろう。はじめはちゃんと聞いてくれた言葉でも、繰り返しになるとそっけなくなってしまうものだ。
テレビCMも一度見たものは、何度も見せられているうちに、飽きてきてしまうものだ。だからこそ、物語性の感じられるものにしたりしているのだろう。
すると、逆に次はどうなるのだろうという興味をもったりもできる。たまに見ているドラマの俳優がテレビCMに出てくると、一瞬面白く感じられることもある。まあ、これも一つのバリエーションなのだろうな。

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相手の関心を引くホメ言葉には、ある程度のオリジナリティが必要なのだ。
「人はホメ技で180度変わる」内藤誼人著より。
陳腐なお世辞はほとんど興味を持たれないだろう。むしろ無視されることがほとんどではにだろうか。またありきたりな会話も相手を退屈にさせるだけだろう。
かなり大げさにホメるというのもありだった。たとえば、「あなたは歴史に名を残しそうですね」や「ギネスブックに載っちゃうんじゃないですか」などいままで誰にも言われたことのないようなホメ方もあるのだった。
そして、オリジナリティがあればこそ、相手の印象にも残りやすいという意味だった。とはっても、そうそう簡単に即座にその場では思いつかないものだ。
そこで、これは新しいと思いついたら、日頃からメモしてストックしておくのがいいようだ。それは財産にもなるはずだという。つまりふだんからの心がけがモノをいうのだろう。

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いかに大げさに言うかが、お礼を言ういうときのポイント。
「人はホメ技で180度変わる」内藤誼人著より。
お礼も確かにホメ言葉の一種だった。何かを差し上げて、「ちょうどこんなの欲しかったんですよ」と言われたことがある。その言葉は容易には忘れないし、贈った方もうれしいものだ。
私はお土産でお菓子などちょっといいものをいただくと、こんな美味しいもの今まで食べたことない!などと半分冗談でいうようにしている。もちろんそればありふれていたら、それは失礼になるから言わないが。
「こんなもの欲しかった」、という言葉は、それを選んだあなたのセンスは素晴らしいとホメていることになるそうだ。なるほどと思えた次第。
こんなもので喜んでもらえるなら、今度はもっといいものをあげよう、という気にもなるものだ。お礼は、ホメ言葉のチャンスの機会だということを覚えていたいものだ。