覚えたことは、使えない。気づいたことだけが、使える。

「なぜあの人は勉強が続くのか」中谷彰宏著より。
勉強で覚えることより、気づくことのほうが大事なことらしい。気づきとは納得と言うことでもあろう。ただ単に覚えてもそれだけでは、使うこともできないものだ。
理解すると言うよりむしろ、感じとることだった。人から教わったことより、自分で発見や気づいたことのほうが説得力もありそうだ。それは自分のなかで納得しているからだろう。
自信のあることばはやはり体験を通してのことが多い。それこそが自分の武器と言ってもよさそうだ。人の受け売りだけでは説得力ないものだ。
先生から聞いたことと、自分が気づいたことを組み合わせることで、使えるノウハウになっていくというのも分かりやすい。使えたという感動があればこそ継続もできそうだ。

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頑張って10年続けるのではなく、10年続けられる方法を考える。
「なぜあの人は勉強が続くのか」中谷彰宏著より。
まさにこれは逆転の発想かもしれない。頑張らなくてもいいから、継続できるのだ。しかもそれが本当に好きなことで負担にならないということも必要だろう。
このブログを始めたときもまさにそんな感じだった。長くつづけられるテーマはなんだろうと考えたものだった。しかも身近なことからテーマを探したいと思っていた。
本一冊の感想なはかなり大変だと思ったものだ。それはかなり頑張らないと毎日はできない。しかし、ワンフレーズだけなら簡単だった。
フェイスブックでも、毎日更新をしている人は、それなりにテーマを持っているものだ。たとえば、料理やスポーツ、自分のブログの告知などもあった。
そしてこのブログも何となくやっているうちに、10年目に突入していたのだ。その後も続けるかどうかは気まぐれだが。ここでの結論は「頑張りすぎない」となっていた。

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力みのない立派すぎないノートが、続けられる。
「なぜあの人は勉強が続くのか」中谷彰宏著より。
日記やノートが続かない人は、立派すぎる日記帳を使っている人らしい。中にはそれでも継続している人もいるだろうが。
茶店でメモする際もコースターより紙ナプキンや箸袋で十分らしい。そのイージーさがよかったのだ。あとでそのままノートに貼り付けることもできる。コースターではそうはいかない。
イデアも広告用紙の裏が白いもので十分使える。別にちゃんとした白いノートの1ページを使う必要もなかった。
ノートなら100均のもののほうが使いやすいことも多い。失敗しても、気にならない。アイデアもメモもどんどん書いて、しかも余白を十分の残しても気にならない。
ここでの結論は「文房具を100均で買おう」となっていた。数年前までノートに思いつきメモをしていたら、50冊にもなっていた。たいていは100均で購入したものだったかも。

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生活習慣の中に入れば、勉強は続けられる。
「なぜあの人は勉強が続くのか」中谷彰宏著より。
このフレーズを見た瞬間、そうそうその通りだと思った次第。別に勉強に限らず、趣味でも運動でもそうかもしれない。
やることを日々のスケジュールの中に組み込んでしまうことがポイントだった。たとえば、私は運動不足だったので、何かやらねばと思っていたが、長年できなかった。
それは時間ができたら、などと思っていたからだ。そこで、1年半前から、散歩をウォーキングと考えて、朝駅までの通勤時に乗るバスを歩きに替えてみた。
すると意外と継続できるものだと実感したのだ。またこのブログも毎朝ちょっとだけ書いて、夜にはFBをやることが楽しみになっている。
すると、一度継続し始めたものを、やらないと気持ちがすっきりしないことにも気づいた。毎日歯を磨いたり、顔を洗うのと同じように、生活習慣の中にやることを取り込むことは有益だと実感している。

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