勉強に、勝ち負けを持ち込まない。

「なぜあの人は勉強が続くのか」中谷彰宏著より。
勉強と思った時点で嫌になってしまうことも多い。とくに命令されてやるようなこと、義務でやることなどは特に続かない。またモチベーションも上がらないものだ。
学校での勉強もよほど興味を持たないとやる気も起こらない。筆者はダンスを例にとっていた。続かない人は、優秀で、器用で、美人の人らしい。そうでない人は続いているという。
中谷氏はダンスのコンペ(競技会)に出場することが目的ではなかった。むしろ武道と考えていたから、ダンスを始めて25年になっても継続していられるようだ。
むしろ武道という考えでやっていた。武道は、みずからををより極みに上げていくまでの日々の修業であり、戦いだった。だから、毎日モチベーションがあったのだ。
やはり誰かと競争しているうちは、勝ち負けが生じてきて、続かないらしい。勉強も同じことだった。仕事もそうかもしれないな。自分なりのモチベーションを持っていたいもの。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

習いごとが続く人は、不器用な人。
「なぜあの人は勉強が続くのか」中谷彰宏著より。
逆に器用な人はすぐに上達してしまうので、それで満足してしまうのかもしれない。感動も少ないようだ。また、どんなものにも勝ち負けがあると勘違いしてしまう人も多いようだ。
大人も子どもも勉強も仕事も趣味も勝ち負けを持ち込んでしまうと、最も続かないともいう。大人の勉強は、一生続けるところがいいのだろう。
子どもの勉強は大学に通るまでのことがほとんどらしい。締め切りがあるともいえた。しかし大人の場合は締め切りがない。
不器用な人は、すぐにできるようにならないから、できた時の感動が大きい。そのぶん長く継続できるのかもしれない。どんなこともより高みを目指すことも必要なのだろうな。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
学ぶことは、ノルマや義務ではない。
「なぜあの人は勉強が続くのか」中谷彰宏著より。
たしかに勉強も仕事もノルマ、義務と感じた時点で面白くなくなってしまう。営業なら予算でがんじがらめにされたら、本来は楽しくできるしごとも味気なくなってしまう。
学ぶことも楽しいからこそ続くし探究できるのだろう。中谷氏は本を850冊も書いているが、「お仕事は何をされているんですか」と聞かれたら「本とか書いてます」と言っているそうだ。
また、マギー審司さんは、履歴書に「特技・手品」と書いているそうだ。手品師が本職なのにこの表現は面白い、またちょっとカッコいい。本人のなかに長く続けているという意識がまったくないほうがいいのだ。
気がついたら、長くやっていたというのがベストだった。それは楽しんでやっているからだろう。ここでの結論は「素人のふりを、楽しもう」となっていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「なぜあの人は勉強が続くのか」中谷彰宏著より。