「ながら」ですることが、効率的になる。

「ネットアスリートの時間術」茂木健一郎著より。
子どもの頃は、よく「ながら」はよくないと言われたものだった。テレビやラジオを聞きながら勉強したりすることだった。それは集中できないからだ。
しかし、人によってはそのほうが集中できるという人もいるようだ。私はやはりながらは苦手だった。今では勉強ではないが、二つや三つのことを同時にすることは効率的になったらようだ。
筆者の経験が語られていた。かつてラジオ番組でサッカーにちなんだ曲を流す世t芸だったが、どうもいい曲が思い浮かばなかったという。そこでディレクターがツイッターで「なにかリクエストがあったらそれをかけます」とつぶやくと、ある曲がリクエストされてきたという。
まさに、その曲こそがぴったりの曲だったらしい。ツイッターで案を投げかけたからこそ、他人の知恵を借りることができ、短時間で悩まずに済んだのだ。これも、やはり「ながら」の効用でもあるようだ。
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どれだけの空想力をもつかによって、扱う情報量は決まってくる。
「ネットアスリートの時間術」茂木健一郎著より。
そもそも発想がなければ、実行できることも自然と限られてきてしまうようだ。実行する前に、まず大事なのは発想力や空想力らしい。それがその人の将来的な成長力まだ決めてしまうと茂木氏は考えていた。
きっとそれは自身の経験からそう言えるのだろう。インターネットでも、その人が何かを知りたいと思わなければ、キーワードを検索にかけることもない。
まず、好奇心があるか、実行力があるかでツールを使える範囲も広がるのだろう。何かに興味をもって情報を得たいと思うかどうかがスタートだった。それによる発想力・空想力そのものが情報量になるという。
筆者はインターネットの活用術とは、純粋な興味をどのように深め、広げていくかにかかっているとまで語っている。その気になればなかり詳しいところまで情報を得ることができるからだった。

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遠くの目標より、「今ここ」に集中してこど、潜在能力が開花する。
「ネットアスリートの時間術」茂木健一郎著より。
脳科学者の筆者が言うことだから、素直にそうだと考えたいものだ。昨年の流行語にも「今でしょ」があったが、今に集中するからこそ効果があるというのだろう。
だから「あとで」と思った時点でもう遅れを撮ってしまうことになる。脳のことにもどれば、「いつまでに終わらせる」という制約があったほうが、潜在能力が引き出せるようになっているそうだ。
イムリミットがあるからこそ、集中力で密度が高い時間を過ごせ、精神的な負担も少なくて済むのだった。だらだらといつまでたっても終わらないと思うだけで精神的にも疲れる。
脳は先のことまで、没入することはできないというあとで集中したいと思っても、それは不可能だった。大事なのは、「今ここ」という瞬間のプレッシャーだった。そのためにはストップウォッチが効果的だという。

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