雑談という「知のバトルロワイヤル」・・・

「王様の勉強法」荒俣宏中谷彰宏著より。
中谷氏は、荒俣氏のことを王様の勉強の中毒患者だという。これもおもしろい表現だったが、きっとそうの通りなのだろう。
というのも、荒俣氏が「初めて会うので、ちょっと雑談しませんか」と話しはじめたら、食事もはさまずに、6時間半も過ぎてしまったという。それだからこそフレーズのように感じたのだろう。
つまり話している間に時間感覚が麻痺してしまったということらしい。これは「王様の勉強」の典型的な中毒症状が出た結果らしい。
ふつうなら対談にはレジュメや資料などが用意されるらしい。しかし、何の準備もなく、手ぶらでもこれだけ話に夢中になれるってすごいことだ。
雑談とは言っているが、本を読めばかなり知的な内容であることもわかる。だから、知のバトルロワイヤルという表現になったのだろう。

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勉強はゴールのないマラソンだ。
「王様の勉強法」荒俣宏中谷彰宏著より。
勉強というと、学生時代を思い出してしまうが、それはやらされ感が強いものだった。だからこそいろいろと学べたということも言えるが。やはり義務教育の時期がないと生活もつまらなくなってしまうだろう。
基本的に生きていくためには知らなければならないことはたくさんあるが、自分ひとりで学べるものはごくわずかにしか過ぎないだろう。ある時期には無理やりにでも知識は詰め込んでおいた方があとで楽になるし、楽しめる。
フレーズは荒俣氏のものだが、マラソンの瀬古のことを引き合いに出していた。彼の走り方は理想的で、上半身を少しも動かさないで、ロボットみたいな走り方をしていたという。そういえば、背筋がピンと伸びていたような印象はある。
 しかし、それも癖(へき)が発展したものだと思うと荒俣氏は語る。この利点は量をこなせることだった。自分に一番身についたスタイルで取り組むから疲れないのだという。それは言えるだろう。
荒俣氏は、量にどれくらい取り組めるかが、あらゆる知的活動の基本になると語っていたが、それは氏自身の経験からのものだろう。かなりのスタミナも必要だとわかる。

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知のハードウェアを飛ばすハイウェーを見つける。
「王様の勉強法」荒俣宏中谷彰宏著より。
なんだか抽象的で分かりにくいこのフレーズが気になった次第。そこで、わかりやすい具体的な例を出していた。それは車で150キロですっ飛ばす感じだという。
つまり高速で走るためには、それが可能な道路が必要だという。それは勉強の中身と同じようなものらしい。しかも、それにどれだけ関心があるかがポイントだった。
興味のある分野やテーマは自分にとってのハイウェイだということだ。そのハイウェイを早く見つけた人ほど、早く車の性能を十分に試せるという意味だった。
自分のことなら、初め草花に関心をもったことで、植物全体にも興味を持つようになった。すると、もっと身近な野菜、果物、樹木なども知りたくなってきたのだ。
すると、その後それを材料として、ホームページやブログ、フェイスブックに利用したいとも思うようにもなったのだ。人に見てもらえるというコンテンツにもなっている。