人間は基本的に身体に支配されている・・・

「ビジネス革新の極意」鈴木敏文齋藤孝著より。
この部分は直接鈴木氏とのビジネス対談とは関係なく、齋藤氏の巻末特別寄稿にあった。それは「身体感覚を磨き、仕事力を高める方法」と題して書かれていた。
「仕事や勉強で自分の持っている力を十二分に発揮するにはどうしたらよいか?」という1行目で始まっていた。まずは、体を整えて心を整えることが大事だそうだ。
やる気が起こる時は、かならず体も健康な状態に違いない。やはり、どこか体の調子がイマイチな時は、ベストな状態で仕事には臨めないだろう。体が活性化すれば、頭も活性化するともいう。
斉藤氏はそこで呼吸法もその基本であると考えていた。頭の活動は脳が行う。脳は酸素で動くからだった。そのための集中の技法が禅やヨガにあるともいう。
何かを積極的にやろうとすれば、自然と体が前に乗り出してくるものだった。齋藤氏は、心が先か、身体が先かと言われれば、身体のほうが先だと考えていた。体を整えてから、心を整えるという意味だった。

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黒柳さんはエネルギーを常に回している感じで、すごく元気です。
「ビジネス革新の極意」鈴木敏文齋藤孝著より。
これは、かつて斉藤氏が「徹子の部屋」という番組で対談した時に感じたことだった。その元気の理由は、寝る前にヒンズースクワットを80回やっているからだったという。
もう当時70代後半の黒柳さんがそんなに多くできるとは驚きでもあった。それを始めた理由は、ジャイアント馬場さんのアドバイスがあったからだそうだ。
黒柳さんは80歳になっても元気で舞台に立ちたいが、どうしたらよいかという質問に対して馬場さんからそいういわれたのだった。馬場さんが亡くなっても遺言のように継続しているという。
前の日にやったことは、翌日もできるからと言われて続けているそうだ。齋藤氏もスクワットをやっているという。下半身に筋力がついて、充実感もあるらしい。眠くなったら身体を揺さぶるといいらしい。

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一度読んだ本の内容を忘れない・・・
「ビジネス革新の極意」鈴木敏文齋藤孝著より。
これは斉藤氏のことだが、もともと頭の構造が凡人とは違うのだろうとも思えるが、それには独自の方法(コツ)があるという。せっかく本をたくさん読んでもほとんど忘れてしまって、二度買いすることもしばしばだ。
本を読んだら、読んでいる最中に人に話すことだという。確かに読んで時間が経てば内容は忘れてしまう。人に「いま読んでいる本はこういう本でね」と話すだけでもいいらしい。
また、本の内容に合わせて、自分の経験をひとつ混ぜて話せば批評が出来上がるともいう。一番身近なのは家族だろう。極端かもしれないが、ペットや独り言でもいいらしい。
「経験とりまぜ再生方式」と名付けた方法は、自分の経験を混ぜて話すということだった。そうすると自分の話のようにもなるという。忘れなくなるいい方法に思える。


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かつての花形も年をとればただの人というケースも多い・・・
「老いてこそ人生」石原慎太郎著より。
これは第二章の“肉体への郷愁”と題して書かれている部分にあったもの。しかも、「多いが、・・・」と続いていたのだ。
ここではかつての西鉄ライオンズの大投手、稲尾和久を引き合いに出していた。そして、彼の講演会の話をテレビで聞いた石原氏は、野球以外の局面でも人の心を捉える魅力を育み培っているのにしみじみ心を打たれたと述懐していたのだ。
あの辛口の石原氏がそう感じたのだから、よほど味のある経験を語っていたのだろう。稲尾の場合は、鍛えられた強い肉体が、当人の後年の人生に何をもたらしてくれたかのいい例だと語っていた。
若い頃体力もあった人ほど、年配になってから当時を振り返ると、かつての素晴らしかった肉体への郷愁に襲われるらしい。
やはりいろいろな面で若い頃とのギャップは感じるものだが、それ以外に別の自分らしさが感じられるものを人生のなかで見つけていくべきだ、というようなことを語っている。

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老いについて慣れるということが老いに耐えるに最も良き方法・・・
「老いてこそ人生」石原慎太郎著より。
とはいっても、それは単に老いに甘んじるということではないようだ。耐えるためには慣れるしかないともいう。あきらめとも違うようだ。
ここでは三島由紀夫について触れていた。三島は生来虚弱な体でそれを気にして過ごしてきたらしい。しかし、途中からボディビルという人工的な肉体改造をしてしたのだ。
その筋肉は、実際に動かすにはまったく役に立たないものだった。彼はその姿をみて自己満足してしまったと石原氏は感じていた。
そして、それを老いによって失うことを恐れたというのも、彼の悲劇の要因だともいう。むしろ年をとって衰退していく肉体にも耐えることが必要だったのだろう。
この章の中で石原氏は「少しでも老いを食い止めようとする姿は決してみっともなくなんぞありはしない」と語っていた。いくつになっても、それなりのスタイルで行きたいものだ。