ほめるのが上手な人は、ほめにくいモノをほめます。

『「男を口説ける男」が、女にモテる』中谷彰宏著より。
おもしろい表現があった。「○×△」があった時に、○は誰でもほめることができるということだった。確かに誰から見てもいいと思えるものは同じだ。
ところがそんなほめやすいものをほめていても、ほめていることになっていないという。大事なのは、△も×もほめることだという。自分の痛いところを×とすれば、それはほめにくい。
自分の痛いところを突かれたら、「さすが」「ありがとう」といえるならすごいとも思える。美人なら誰でもほめられるが、そうでない人をどうほめるかが大切だったのだ。
ポイントは、「これはあながち間違いではないな」というほめ方をすることだとアドバイスがあった。実に微妙でおもしろい。まずは観察から始めねばな。

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「昨日の思い出」にひたるより、「明日の思い出」をつくる。
『「男を口説ける男」が、女にモテる』中谷彰宏著より。
自分を含めてだが、ついつい昔話をしてしまうことがある。それはカッコよくないらしい。昔話はたいていそれは自慢話であることが多い。
もう過ぎ去った人の話などあまり興味を持てないものだ。むしろ関心が持てるのは、将来の夢かもしれない。明日の思い出をつくろうという前向きな気持ちの方が大事なのだろう。
たとえば、忘れられないプレゼントはモノよりも体験だという。人にいい体験を味わってもらおうというのは、前向きなことだ。それを共有できればなおいいのだろう。
カッコよさを求めるよりもむしろ共感をもってもらえることのほうがよさそうだ。昔話ではまず共感は得られない。共感できなければ、時間のムダとも言えそうだ。

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1日2時間、好きなことをしている。
『「男を口説ける男」が、女にモテる』中谷彰宏著より。
こんな人はカッコいい人といえるようだ。しかももっとカッコいい人は、それを365日してるという。
たまに時間があったら好きなことをするというのは、別にカッコいいことではなかった。好きなことを探して毎日2時間も費やせるというのは、すごいとも思える。
本当に好きでなければ、そそうそう続けられるものではない。月に1回できればいいというのは、たんなる娯楽だった。いくらやっても飽きないことがあるのは素晴らしい。
そもそも好きなことを探すまでが大変な努力を要するだろう。1週間のうち土日だけ好きなことをするというのも、中途半端な状態なようだ。

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