問題なのはケンカをすることではなく、どんなケンカをして相手に勝つ

「自分を100倍も面白く生きられる」藤本義一著より。
まずは、負けると分かっているケンカは、やるだけ時間の無駄だとしてきしていた。たとえケンカになろうとしても、やはり勝とうが負けようが損をするのではないだろうか。
ケンカ自体気分はいいものではない。できれば避けて通りたいものだ。やるからには勝たねばならないという。しかし、腕力より頭脳戦で勝ちたいものだ。
腕力だけのケンカができるのは、子どもとヤクザだけだというがその通りだろう。
一般人は損をするに違いない。たとえ口ゲンカでも気分は悪くなるものだ。戦国の武将は「権謀術策」をめぐらして戦に挑んだようだ。これがケンカの原点だと藤本氏は語っている。
「権」は相手を呑んでかかり「謀」はひそかに計画を立て、「策」は相手の反撃をいかにかわすかと論理を立てることらしい。そして、「術」はそれをどう実行するかという意味が込められていたのだ。意味の深さを感じる。

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競って勝負するケンカもあるんだと覚えておく。
「自分を100倍も面白く生きられる」藤本義一著より。
もしサラリーマンなら上司には向かうことはできないものだ。それをしたら損をするのは自分のほうに決まっている。役職が上のものや先輩社員と競えるのは、仕事での成果ではないだろうか。
たとえば、営業の成績で勝つことは工夫と努力次第で可能だ。誰から見ても上だと思わせられれば勝っていることになる。いったい自分はどんなことで人に勝つことができるかを考えるべきなのだろう。
サービス力でも自分の普段の心がけ次第で、周囲の多くに勝つことはできる。アイデアの質や量でも可能だろう。仕事の信頼度でも周囲からの評価を得ることができるはず。
年齢も上下も関係なくぶつかれることも意外に多いことに気づく。自分の得意分野は何だろうかと振り返ってみることも必要だ。常に周囲の協力を得られるというのも強いともいえるだろう。

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人間のつきあいは、計算だけではできないもの。
「自分を100倍も面白く生きられる」藤本義一著より。
あまり損得だけを優先していると、面白くないものだ。またいつでも何でも完璧であると息苦しく感じることもある。筆者はむしろどこかドジで抜けているところを見せあったほうがいいとアドバイスしていた。
バカになったほうが勝ちとまで言う。失敗があるほど親しみが持てるということもいえる。単に仕事ができて頭がいいというだけでは、逆に嫌われるもとになるかもしれない。
いつも完璧だと思える人が失敗すると、急に親しみを感じたりもするものだ。また自慢話は人を遠ざけるかもしれない。むしろ失敗談のほうが人は寄ってくるものだ。
藤本氏は親しくなるためには、恥が必要だともいう。逆にいえば、常に恥ずかしいことを隠してばかりいては親しくもなれないとも言えるのだろう。そう考えると親しまれるオバカになるのは大変なことかもしれないな・・・

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ヨイショというのは、人と人が触れる時のクッションの役目を果たすもの。
「自分を100倍も面白く生きられる」藤本義一著より。
なるほど、そう言われればそうかもしれない。これを実際に上手くやれるかどうかが問題だろうな。やはり、これもある程度練習していなければ、いきなりはできないだろう。
人間関係の潤滑油としてはいいものに違いない。それをさり気なくやれる人hすごいとも思える。ここにおもしろい新聞記事のことについて述べられていた。
それは、子どもから見て好きだと思った先生は、「ガンバレよ」とか「よくやった」「いいいぞ」など誉め言葉を言ってくれた場合のようだ。
嫌いになる先生は逆で、「バカだな」「こんなこともできないのか」とけなされる場合らしい。たしかに、ネガティブな言葉を吐かれるととたんにやる気も失せるだろうな。
まずは、ホメ言葉のバリエーションを覚えたほうがいいのかもしれない。いつも同じような言葉では、飽きられてしまうだろう。その前に相手に注目することかな。

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なぜ、劣等感を持っている人が大成するかというと、執念があるから。
「自分を100倍も面白く生きられる」藤本義一著より。
人が成長する過程で、劣等感を考える前に、ライバルの存在というのも大きいだろう。お互いのいい切磋琢磨はいい結果をもたらすものだ。
藤本氏のライバルといえば、すぐに思い浮かぶのは井上ひさし氏だ。先に直木賞をとったのは、井上氏だった。だから、藤本氏は彼に対して劣等感がものすごくあったと振り返る。
しかし、別に筆を折るわけでもなく、独自の世界で執筆は続けていたのだ。劣等意識が強烈なインパクトを植え付けてくれたという。劣等意識はエネルギーに変換できたのだ。
ダメだと思って諦めてしまったら、それで終わってしまう。むしろそれを踏み台にすべきだったのだ。藤本氏は自身の経験から、執念が生まれない劣等感は、本当の劣等感じゃないとまでいう。執念をもつ大切さを念頭に置きたい。

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人生の面白さというのは、何かに執着することから始まる・・・
「自分を100倍も面白く生きられる」藤本義一著より。
これは藤本氏の意見だが、同感だと思った次第。器用だからといって、あれこれと食い散らしているうちは、人生の面白さはわからないだろうという。
むしろ不器用でも、何か一つに執着して極めたほうがいいようだ。しばしば職人といわれる人達は、そうして誰にも真似ができない技を身につけたのだろう。
不器用だからこそできることがある、という考えもおもしろい。エジソンは偉大なる不器用人間だと思ったらしい。一つのことを追求したら、寝食をわすれて没頭してしまうからだった。
しかし、他人にまねのできない発明に対する執着心、才能があったのだ。オリジナリティはこの執着心から生まれるというのも頷ける。その執着心は不器用な人が世の中を渡っていくうえでの武器と考えるべきだったのだ。