つかの間の退屈な時間をどう生かすか。

「退屈のすすめ」五木寛之著より。
この本を読み進めいていくうちに、どこかで読んだような気もしていた。そして、あとがきの部分でやっと、それがかつて読んだ『知の休日』を再編集したものだとあって納得できた。
休日をどうやって知的に過ごせるか、ということも共通している。誰でも退屈することはあるが、それをできるだけ有意義に過ごしたいとおもっている。
ここには、筆者の五木氏が自分で試みてきた見本がいつくもヒントとして書かれている。ただ時間をつぶすだけではもったいない。やはり楽しく充実した時間を過ごしたいものだ。
タイトルのフレーズにあげたように、筆者は“そのことに実は私たちの人生がかかってるのかもしれない”、と語っている。要するに自分流の勝手な時間の過ごし方が発見できればベストなようだ。


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ふだん適当に見過ごしている生活のディテールのなかに、おもしろいことをみつける。
「退屈のすすめ」五木寛之著より。
確かにふだんは何げなく過ごしてしまっているが、ふと立ち止まって見ると身近に新しい発見があったり、出会いもある。別に大げさなことではない。
たとえば、個人的には植物に関心があるが、ちょっと注意してみれば、身近でも今まで気がつかなった植物の実や花に気づくことも多い。
そして、たった一つの植物から別の知識も得ることもできる。そんなところもおもしろい。また植物を通じて人と会話することもできたりするのだ。
植物の雑知識など、日々の生活にはまったくどうでもいいことのほうが、おもしろかったりもする。だから、最近はあまり退屈だと思うことは少ない。
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ちょうどいいバランスをたもったときが、本当は<いい加減>なのではあるまいか。
「退屈のすすめ」五木寛之著より。
一般的には、いい加減はいい意味では使われない。ダメなことの代表のようにも思える。しかし、湯かげんなどという場合、いい湯加減というが、これはちょうどいいという意味になる。
働き過ぎも、だらだらし過ぎもよくないのだ。どちらもいいバランスでできればベストなのだろう。酒もまったく飲めないよりも、少しは飲めるとコミュニケーションもうまくいくことが多い。
また、飲み過ぎは体によくないだろうが、程度なら酒は「百薬の長」にもなりえるのだ。ならば、飲んだ方が体にはいいとも言えるのだろう。
何ごとも適度にやっていれば、ものごとはうまく運ぶとも思われる。その適度の具合は、個人個人で異なるものだろう。

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退屈を黄金の時間に変えて。
「退屈のすすめ」五木寛之著より。
筆者は自分だけの遊び方をさがすことをすすめている。探してみれば、どんなことでも遊べるという。意外なことだが、ちゃんと体を洗うこと、休日に断食をしてみる、読めるけど書けない漢字をリストアップしてみるなども入るという。
たとえば、自分の生まれた年にあった新聞記事を眺めてみるというのもおもしろいようだ。もし、本当に興味があればどんどんはまってしまいそうだ。
こんな他の人にとって意味のないことほど、自分にとっては大事なことだともいえるようだ。世間一般ではなく、自分の世界をつくりだすことが知の休日にもつながるようだ。
自分の関心があることに集中してしまえば、退屈などという言葉を忘れてしまいそうだ。そんな時こそ、自分時間を過ごしているとも言えるのだろう。

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あまり人のいなさそうなギャラリーや美術館を探す・・・
「退屈のすすめ」五木寛之著より。
具体的に、五木氏はどんなことをして退屈だと思われる時間を過ごしてきたかについて述べていた。たとえば、靴と遊ぶ、車と遊ぶ、本と遊ぶ、夢と遊ぶ・・・などがあった。
そのなかの一つとして、アートと遊ぶがあった。展覧会は年間を通してたくさんの美術館や画廊で開催されている。私も年に数回は行くこともあるが、大きい展覧会は混んでいるのでゆっくり鑑賞できない。
そこで、五木氏は有名美術館よりもむしろあまり人に知られていないひっそりとした小さな美術館を探すのがいいと提案している。それは自分が探すしかないだろう。
たまにアートに目をさらすのも悪くない。まるで別世界にいるように思えることもある。また、作者の作品への発想もときにはいい刺激になったりもする。
五木氏はもし、美術館や画廊の中の作品から、1点だけ盗むとしたらどれを盗むか想像してみると面白いと提案していた。大富豪だったらどれを買って飾るかと考えるのも楽しそうだ。
そう考えることで、絵と自分との真剣勝負があるという。なるほどと思わせられる。

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本当に大事なことは、どんなに忘れようと頑張っても頭にこびりつく。
「退屈のすすめ」五木寛之著より。
これは“本と遊ぶ”という章で書かれていたものだった。氏は一冊の本を読んで、いやでも頭の中に残る一行があれば、それで十分だともいう。
そして、忘れてしまうような内容は、もともと縁がなかったのだと諦めるという。
本はいくら読んでもその内容はほとんど忘れてしまうものだ。むしろ頭に残るのは印象的なフレーズだったりもする。メモを書いてもアンダーラインを引いたとしても、一時的なものだ。
五木氏は、本を読んでどうしても忘れられない内容こそが価値があるという。そう考えると、なかなかそんな本には出会っていないかもしれない。というより忘れっぽくなったのだろう。
読んでいて、その時は素晴らしい考えだと思っても、本を閉じた瞬間に何も思い出せないものだ。一度買って読んだ本をまた買ってしまうことはあるが、それでも内容はまったく覚えていないものだ。