芸術は教えられるものではない。

岡本太郎の仕事論」平野暁臣著より。
芸術といっただけで、なんだか特別のことのように思ってしまう人が多いようだが、別にそんなものでもなかった。岡本太郎は、、芸術なんて道ばたの石ころと同じだとも言い切っている。
むずかしいとか、わからないなどというのは、バカげた偏見がそうさせているだけだとも言う。特別な知識などなくてもいいのだ。まあ、知識があれば、より楽しめるかもしれないが。
人に教わったりするものではなかった。太郎は、一般大衆のものだと考えていた。そして、芸術はすべての人間が生まれながらにもっている情熱であり、欲求であるとも語っていた。
誰もがもっとお気楽に芸術に触れるべきだったのだ。一口に芸術といっても、幅は広い。身近にあるものでも、場合によっては、それは気づきかもしれない。野草を摘んで花瓶に飾るだけでもちょっとした芸術とも言えそうだ。

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芸術は「無償のコミュニケーション」として放射されるべきもの・・・
岡本太郎の仕事論」平野暁臣著より。
太郎は絵などの作品を売らなかったという。すべて持っていたので、岡本太郎展では代表作すべてが全国で見られたようだ。金でうる芸術はしなかった。
しかし、他の作家のように売ってしまえば、どんな巨匠でも各地から集めるのは容易ではない。有名な作家の作品ほど、企業の倉庫に秘匿されてしまったりもする。
それでは、いくら素晴らしい作品であっても大衆の目に触れることはなくなってしまう。それは、初めからなかったの同じことになってしまう。
太郎は、銀行預金のようにしまっておく芸術なんて意味がないとまで言ったが、それは当然だろう。芸術は、太郎にとって無償のコミュニケーション手段だったのだ。
絵を売らずにどうやって生活してたのかも興味深い。書いた本は売れた。また雑誌なのどからの原稿依頼や講演も多かったのだ。またデザインもしていたから、絵を売らずに生活できていたのだ。

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あらゆものについて猛烈な素人でなければならない。
岡本太郎の仕事論」平野暁臣著より。
つまり、「はじめてだから、やる。難しいから、遊ぶ」ということらしい。実に積極的な考え方、生き方だと思える。
それではいったいどんなことに挑戦したのだろうと振り返れば、大阪万博での高さ7−メートルの「太陽の塔」はその代表だろう。また、ウィスキーのおまけで使われたグラスの底の顔もあった。
絵画以外にも、彫刻、写真、著書、テレビ出演やCM、インテリアデザイン、お寺の鐘の制作・・・と様々なもので初挑戦していた。それまでやったことがないのだから、素人とも言えそうだ。
しかし、それらすべての作品は、自らの思想を社会に送り出すためのキャリアー(搬送台)のようなものだったのだ。作品は目的ではなく手段だった。どれもが規格外というのもすごい。

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素人発想を忘れない人だけが壁を破れる。
「1行の成功法則」竹村健一著より。
たまたまこれも、前日触れたフレーズとも似ていたので気になった次第。竹村氏は一つの仕事がうまくいかなくなっている時は、むしろ「素人」の発想に立ち返ってみたほうがいいとアドバイスしている。
一般的には、素人の発想がプロの上をいくとは考えないものだ。しかし、そんな常識の枠にとらわれているからこそ、新しいアイデアが浮かばないのだという。それも頷ける。
プロともなれば、当然ながら、知識、経験とも豊富だから、素人の発想はバカバカしいと考えてしまう。そこにこそ突破口のヒントがかくされていたのだ。たとえば、ビジネスホテルを思いついたのは、作家の邱永漢さんだった。
邱さんは創作活動を休んでいるときは、事業を行っていた。その時のモットーは「素人精神を第一に」だった。だから、常識に縛られているプロのホテルマンが思いつかないことを考えることができたのだ。

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