ほとんどの人は、「自分の意見」など持っていない。

「他人を動かす質問」内藤誼人著より。
たまたま前日は「いい質問は、人を動かす」(中谷彰宏著)からのフレーズをとりあげていたが、この本のタイトルもよく似ていることに気づいた。
普段からよほど関心がなければ、自分の意見、感想、主張などは持っていないものだ。むしろ人から質問されてから考えることのほうが多いのだろう。ものごとを深く考えたり、こだわっていないものだ。
もし、優秀な衣料品の販売員だったら「どうです、奥様、そちらはお気に召しましたか?」とは聞かないそうだ。むしろ「いかかですか、奥様、素晴らしいデザインでしょう?」とお客さんに向かって問いかけるのだという。
そういわれると、なんとなく頷いてしまうのではないだろうか。これは誤誘導質問というらしい。つまり、自分の望んだ方向に質問することがポイントとなっていたのだ。

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意見は「引き出す」のではない、「埋め込む」のだ。
「他人を動かす質問」内藤誼人著より。
これも前日のフレーズとやや似ている。それはたいていの人は、無意見、無感想であることが多いからだった。確かに「○○についてどう思われますか?」と聞かれたら困ってしまうものだ。
しばしば街頭インタビューで意見を求められている人がいるが、意外にしっかりした意見を言う人がいるものだと感心してしまうことがある。
しかし、誰もが即座に感想や自分の主張を述べられるとは思えない。たまたまテレビで放映されるのは、それなりにの意見を述べられた人だけなのだろう。編集によっては、意見に偏りも考えられる。
私たちの脳みそは、きわめていいかげんらしい。だから上手な質問である前提を埋め込まれると、それと一致するような方向にむゆがんでしまうものらしい。
たとえば、「○○はとてもおいしいと思うんだけど、キミは?」や「○○の状況はかなり厳しいと思うんだが、キミはどう思う?」という質問にはすでに「おいしい」や「厳しい」という言葉が埋め込まれているのだ。
つまり引きずられた意見を述べてしまう可能性もあるらしい。気をつけねば。

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頼みごとは「満面の笑み」でせよ。
「他人を動かす質問」内藤誼人著より。
人から何かものごとを頼まれるときに、暗い表情の場合は、なんだか嫌な予感がしたりするものだ。もうそれだけで拒否反応を起してしまいそうだ。
しかし、にこにことほほ笑みながら、上機嫌な顔で「○○してくれませんか?」と頼まれれば、比較的納得しやすいものだ。
頼むのが上手な人は普段から笑顔もよかったりする。これは表情の問題だった。どこの店でも店員が笑顔でいると、お客も笑顔になりやすいらしい。
無愛想な店員には近づきたいとは思わない。また、声のトーンも大事な要素だと思える。あまりにもぼそぼそと言われてもいい気持ちはしないものだ。笑顔も練習が大事なようだ。

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