解決できないことを悩んでいても時間はもったいない。

柳井正の希望を持とう」柳井正著より。
自分の本に自分の名前を入れてしまうというのもすごい。それだけ人とは違う自分が考える希望があるという意味が込められているのかもしれない。
筆者は、「悩みや不安を持っていない人は地球上に一人もいない」というが、もしそれを忘れていられる時間が長ければそれだけ幸せなのかもしれない。ある意味忘れことや意識しないことは健康であることとも言えそうだ。
ビジネスマンならもっと儲かること、成長することを考えた方がより建設的だということになる。そのためには、柳井氏は将来の理想を頭に描いてみることを提案している。
理想がなけば、そこに近づきようもないからだった。プロスポーツ選手もイメージトレーニングで理想の形でパフォーマンスができるよう努力している。
そう考えれば、人は目標に向かって進んで努力している間はそれほど悩まなくなるとも思える。また解決できない、単なる不安は放っておくべきで、それを考えるだけ無駄だった。

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物まね商品を作ったとしても、そこそこ売れるだろうが、絶対に本物を超えることはできない。

柳井正の希望を持とう」柳井正著より。
つまり柳井氏が考え作っている洋服は、人にはまねができないものだという自信の現れでもあった。自分たちのつくる服は決して物まねではなく、他とは違った商品作りをめざしていた。
ヒット商品、ファッション情報の後追いをしても、いいいものはできないと考えていたのだ。当然ながら人がやって成功したからといってまねてももう遅すぎる。
だから、そこそこ売れても、本物以上に話題性が高まることもないのだろう。しかも、そのような商品ばかり作って売っていたら、社内の士気も下がってしまうというのも頷ける。
二番煎じは、あくまでそれなりにしかならないのだ。むしろその会社の評判を下げる結果になることも考えらる。むしろ、多くの支持を得るためには、物まねでないモノを作ったり、コトをやっていくことが重要だと感じられる。

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「勇気を持って、誰よりも先に、人と違ったことをする」
柳井正の希望を持とう」柳井正著より。
これも英語で示されていたからこそ、目についたフレーズだった。“Be daring.Be first.Be different.”となっていた。実にシンプルでわかりやすい。こんな言葉を残していたのは、レイ・クロックで、マクドナルドをファーストフードチェーンにしたベンチャー起業家だった。
マクドナルドの可能性を見抜いて、事業を立ち上げた人物だった。企業当時は53歳で、それまではミルクセーキ用のミキサーのセールスマンだった。マクドナルド兄弟のハンバーガーレストランに出会ったのがきっかけだった。
柳井氏は、フレーズにあげたものを手帳に書きつけ、何度も読み返したと述懐していた。いい言葉は体に染み込ませたいと思ったのだろう。
そこから、氏は「服の世界商品を作る」ことを真剣に考えたという。いまや売上げ1兆円を超えた大企業になっていることを考えればとてつもなくすごいことだと成し遂げたことがわかる。

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「現実の延長線上にゴールを設定しない」
柳井正の希望を持とう」柳井正著より。
(前日のつづき)
これもまたマクドナルド関連になってしまうが、日本マクドナルドを創業した藤田田さんの言葉だった。柳井氏が感銘を受けた経営者の一人だった。
かつて『ユダヤの商法』はベストセラーになったので、読んだ覚えはある。マクドナルドを日本に持ってくるとき、評論家や飲食業界の人からはさんざん「失敗する」と言われたらしい。
それは、日本人は米と魚を食べる民族だから、パンと肉のハンバーガーなど食べない、と思われていたからだった。
しかし、そんな延長線上にだけ立っていたら、今ほどの大衆的な店は広がらなかっただろう。ファーストフードと呼ばれるのは、いつでも、どこでも、誰でも食べれるということを目指していたようだ。
そして、柳井氏はベーシックカジュアルの洋服もまたファーストフードにたとえられる商品だと思ったのだ。ハンバーガーが1000億円の売り上げを目指すなら、服なら年間1兆円売れると夢を描いたのだ。そして、今年にはそれを達成していた。
ユニクロの第1号店を作った時、社名をファーストリテイリングと変えたのは、ファーストフードから名づけたものだったという。それまでは小郡商事だった。そしてユニクロの服は「世界のどこでも、いつでも、誰でも着られる服」にしようと決めたのだった。

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