実業の世界は信用が第一なのだから『論語』の精神は絶対に通用する。

「最強の人生時間術」齋藤孝著より。
このように考えていたのは渋沢栄一だった。しかも引退後の彼の人生も一貫して論語の精神に貫かれていたという。
齋藤氏はこのように「精神の骨格と言えるものを何か一つ持つ」というのも、人生のギアチェンジをスムーズにするコツだと指摘していた。
言葉を変えれば、頼りになる思想、テキストというものらしい。これをしっかり持っていれば、環境が変わっても、自分自身が揺るがないから強くいられるようだ。
渋沢栄一は公共心や社会意識、社会事業への貢献だった。しかも実業界からはっきりと引退したのは77歳の時だった。そこから先のこともしっかりと考えていたというのもすごい。

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四十五歳を過ぎたら文化に時間を割こう。
「最強の人生時間術」齋藤孝著より。
私の場合はそこからかなりの年数が経ってしまっているが、たしかに40代後半からは様々な本を読んだり、短い書きものをしてきたことを思い出す。
どこかへ出かけるより、机の前でパソコンに向かっている時間も多かったかもしれない。パソコンではハンドメイドの小物を作ったり、創作にも関心があった。
そして、費やした時間で何かを生み出すことができた時は満足感も得られたものだ。自分が費やした時間をなにかで振り返ることができきるのは、やはり文化的なことをしたからだろう。
常に何らかの形で過ごした時間の足跡を残したいと思う。趣味にしても達成感があれば、それなりに継続する意欲もわいてくる。
齋藤氏は、小さなものでも、手をかければかけるほどよくなるものというのが、長く続ける秘訣だとアドバイスしていた。ものに磨きがかかっていくのを愉しむということだろうか。

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多くの人が「定年」によって、仕事と同時に人間関係も失ってしまう。
「最強の人生時間術」齋藤孝著より。
この本の第4章は「人生デザインを完成させる後半生の時間術」となっていた。人生デザインというのもいい表現だ。定年後は時間はたっぷりあるが、それをどう有効活用できるかがポイントだろう。
仕事以外のコミュニケーションをどう作っていけるかが問題だ。ほとんどは仕事を失うと同時に人間関係も失ってしまう。
趣味を持っていても、一緒に楽しんでくれる人がいなければ、楽しさも半減してしまうというのも容易に想像できる。やはり何らかのコミュニケーションがなければ満足感もないだろう。
スポーツもそれ自体と同時に、そこでのコミュニケーションがあるからこそ楽しめるのだ。絵画も写真もやはり発表会や仲間との取材があるからはりあいもある。
そこでまず、大事なのは「人から嫌われないコミュニケーション力を身につけておくこと」が死活問題らしい。胆に銘じたい。

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有り余ってしまっている時間を、人とダラダラ上手に過ごせるか・・・
「最強の人生時間術」齋藤孝著より。
一般にはダラダラはよくないこととされているが、意識的にそれをやることも定年後の過ごし方らしい。それこそが後半生の時間を楽しく過ごす時間術の極意だという。
とはいっても、いつも人が付き合ってくれるわけでない。そこで、大事なのは、一人遊びのアイテムを見つけておくことだった。今考えられるのは、写真撮影やブログだろうか。
ネットでも交流も中身が充実していれば、それなりに価値はあるのだろう。将棋や囲碁は相手が必要だが、一人でもそれなりに楽しめるらしい。
齋藤氏の父親はジグソーパズルや模型の組み立てに凝っていたらしい。高齢になると、「手を使う」ということがもたらす「やっている感」が大切らしい。なるほどと思える。

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六〇歳以降の時間術というのは、メリハリをどうつけるかが大切・・・
「最強の人生時間術」齋藤孝著より。
いくら趣味があってもそれを毎日やっていればマンネリもやってくる。そこで大事なのはメリハリをつけることだった。
それにはちょっと大きなイベントをいれることだった。そうすることで、生活のリズムにアクセントが利いて、人生の豊かさがグッと増してくるようだ。
それは何となく理解できる。かつて地元の美術協会に所属していたことがあるが、やはりみんなで取材旅行に行ったり、展覧会に向けて制作することで張り合いもあったのもだった。
ただ自分が好きだからと、一人でキャンバスに向かっているだけでは、もの足りない。第二の人生では月一回の会合をいくつか持てれば幸せかもしれないな。
また、退職後こそ手帳を持って、予定で埋めていくことも有意義らしい。齋藤氏は、仕事は赤、プライベートは緑、青はその中間の用事を書いているという。これも面白そうだ。

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