「いかに芸術になるか」を目指すと、直感を磨ける。

「直感人VS.計算人」中谷彰宏著より。
計算人が目ざすのは、たとえば「点数を取ること」「勝つこと」「売れること」で、それはスポーツの域を超えていないことだという。
面白い見方があるものだと思ってしまう。しかし、逆にどうやったら芸術になるだろうか、と考えるという方法もあったのだ。それができるのが直感人らしい。
魔法も芸術のの一種だという。普段は魔法などまったく自分には関係がないと思ってしまうものだが、中谷氏はそれまで練習しているらしい。世の中にはいろいろなことに関心を持つ人がいるものだ。
武道もまた芸術だという。確かに型が美しいかどうか、などという表現も聞いたことがある。西部劇でのガンマンの対決も「抜く前」が勝負だった。抜いた瞬間にもう勝負はついているからだった。
これからは。やっていることがいかに「芸術」になっているかを念頭に置いてもいいかもしれないな。仕事も日常も視点を変えてみると面白くなりそうだ。

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モノの費用には「実費以外のもの」が含まれている。
「直感人VS.計算人」中谷彰宏著より。
これだけでは、何のことかは理解しにくいが、具体例が引き合いに出されていた。ある人がそれはタクシーにケータイを忘れた時だった。
タクシーの運転手が赤坂から新宿まで届けてくれたときに、どれだけお礼をすればいいかということだ。普通ならタクシー会社へ持ち帰って、落とし主にそこまで取りに来てくれれば簡単なことだった。
しかし、親切にも届けてくれた場合は、単に赤坂から新宿までの金額だけ払えば十分ではないという考え方もあった。親切代、大切なものデータなどを届けてくれたお礼、時間のロスをせずに済んだ金額、もし次に忘れた時も親切にしてもらえたら嬉しいという気持ち、などいろいろと含まれていたのだ。
そう考えればお礼1万円でも安い場合も考えられるのだった。計算人だったら、実働分の数千円で済ませてしまうだろうという考えだった。見た目ではない、見えない部分の借りもあることも忘れないようにしたいものだ。

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「心の領域」に入る直感人が、勝ち残る。
「直感人VS.計算人」中谷彰宏著より。
これだけだとかなり抽象的で何のことかわかりにくい。そこで、テクノロジーを例に出していた。技術の進歩は実にスピードアップされている。
パソコン、ケータイ、スマホにしても、3カ月ごとに新製品が出てくる。むしろケータイはガラケーといわれ、スマホがメインになって、持っている人の方が少なくなっている状態だ。
情報機器の賞味期限は実に短い。“おっ!すげぇ!”と驚いたものの、便利だと思えばそれが当たり前になってしまい、やがては持ってること自体、使うこと自体がマンネリ化してしまう。
慣れるのも飽きるのも早い。みんなが同じになった時点で、差がなくなってしまう。むしろ差がつくのは、気持ちをどうするかの方だったのだ。市場で戦って勝っていくためには「心の領域」が大事だと気がつくことがポイントのようだ。
ハードより、よりソフトのほうが何十倍も大切なことだとも言えるのだろう。理屈では分かっていても常に頭で考えていないと、流されてしまいそうだ・・・・な。