「感動する脳」というのは鍛えれば鍛えるほどグレード・アップしてい

「感動する脳」茂木健一郎著より。
このグレード・アップには限界というものがないらしい。お腹の場合は、たくさん食べれば一杯になってしまって、目の前にいくら美味しそうなものがあっても、食べられない。
しかし、脳はいくらでも入れることができると言うから驚きだった。つまり感動はどれだけあっても感動できるということらしい。これはありがたい。
美しいものに触れたり、新しい経験や発見で感動することがいいようだ。そんな積み重ねが人生を豊かにするというのも頷ける。できるだけ多くの感動を味わっていきたいものだと思った次第。
しかも、感動というものは、心の空白の部分にすっと入り込んでくるものらしい。つまりそれは、気持ちの余裕ということだった。仕事のことばかりで頭がいっぱいの時は、どんなに美しいものを見ても感動はできないということになるか・・・

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ただ「おいしいものを食べる」だけなら、お金さえ払えばだれにでもできる。
「大人の作法」山本益博著より。
筆者は料理評論家だけあって、“男の品性は「食」に表れる”と指摘していた。私にとって、実にこれは厳しいポイントでもあった。
とても品がある食べ方をしてこなかったからだ。大人の男が、「言葉」と「立ち居振る舞い」を最も試される場所は、食事の場面だと語っている。またまた、う〜む、とうなってしまう。
最低限のテーブルマナーのほかに、場にふさわしい話題の選び方、会話力、同伴者への気配りなど、人間性が問われるようだ。ますます厳しい。
出されたものを「おいしく食べる」には、お金以外の感性、見識、経験が必要だと指摘する。お金があっても、おいしく食べられるとは限らないというのも理解できる。

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「日々の発見に歓喜せよ」
「大人の作法」山本益博著より。
これは山本さんにとっての師であった、松永伍一さんが彼に書いてくれた“生き抜くための戒めに”という七カ条のなかの一つだった。
その七カ条は次のよなものだった。一、自己に厳しく鞭うて。一、時間を浪費するな。一、不必要な交友を避けよ。一、自分より秀れたものを目標にせよ。一、酒・女・賭け事を遠ざけよ。一、自己の可能性を信ぜよ。一、日々の発見に歓喜せよ。
やはり私もこの中で最も気になったのは、最後のものだった。山本さんもそれに惹かれたという。要するに、特別な日、出来事に感動するのは当たり前のことだが、そうではなく、日々の暮らしの中に感動を見つけなささいということだった。
些細な出来事に潜む喜びを発見できる自分であることが大事だったのだ。私もこれを念頭に置いて過ごしていきたいと思った次第だ。

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