若さとは変化するということ・・・

「感動する脳」茂木健一郎著より。
そのあとには、次のようにつづいていた。「決して年齢の問題ではありません」と。第三章のテーマは「感動は脳を進化させる」となっていた。つまり脳を進化させるには感動することが効果があるということだろう。
いずれにしても、若さということを意識するということは、ある程度自分がもう年をとってしまったということだろう。若いうちは何も意識はしないものだ。
いくつになっても若々しい人は、未知のものにいつも興味を持って、感動することを楽しんでいるはずだという。確かにそんな人は若い気持ちの持ち主だと感じるものだ。
40歳になったからオジサンになるのではなく、その歳でもう人生に変化などないと諦めてしまうことでオジサンになっていくのだという。なるほどと思わせられる。できるだけいろいろな変化を楽しんでいければいいのだが。

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意欲を持つことで免疫力も高まってくる・・・
「感動する脳」茂木健一郎著より。
これは小タイトルで“芸術家が長生きするワケ”というところで述べられていたことだった。そう言えば、画家をはじめ芸術家で長生きの人は多い。日本画家でも100歳近くまで描いている人もいる。
また、70歳を過ぎてから絵筆を握って、その後かなりの高齢まで描きつづけた人もいた。やはりそれはモチーフに感動して、目標をもって生きたからだろうか。
筆者は、その作品に対する意欲が、生きる意欲に直結していると思う、と語っている。たとえ、高齢になって体が弱っても、意欲というエネルギーにあふれていれば、体は自然と元気になってくるらしい。
そして、茂木氏はそのエネルギーを生み出すためには、「感動する」ことが重要なファクターだと指摘している。ちょっとしたものにも感動して、イキイキと過ごせればなによりだろう。

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創造性を高めるためにも言葉と教養は欠かせない。
「感動する脳」茂木健一郎著より。
まずは、会話について述べられていた。人と食事をするときにも、ただ黙って食べているだけでは味気ないものだ。やはり人と一緒の時は食事も会話も楽しめなければ損だろう。
また美味しいものを食べたら、それをしっかりと言葉に出してみることも意味があるようだ。家族のものが作ってくれたものには感謝の言葉も必要だったのだ。自分はそれが欠けていたかもしれないな。
どんなに美味しいものも言葉で表現できなければ、また伝わらなければ意味がないかもしれない。しっかりとイメージを言葉にできてはじめて、人に理解も得られるのだった。
ものごとはすべてそんな理解があってはじめて前に進むということだった。ちょっとした感動を言葉にするためにも教養は欠かせないということのようだ。

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「思わぬ幸運に偶然出会う能力」
「感動する脳」茂木健一郎著より。
なんとも、すごい能力に思える。それは「セレンディピティ」と呼ばれるものを日本語に訳したものだった。どこかで聞いたことがあるが、すっかり忘れていた言葉だ。
脳がネガティブな状態に入り込んでいる時、誰もが自分の力で何とかしようと考える。そして、一人で悩んで閉じこもりがちになってしまうこともあるようだ。
ところが、問題解決の方法は、案外自分以外のところにあったりするものらしい。自分一人では解決できない問題も、外に解決法を求めることで、簡単に片がついてしまうこともある。
そして、そんな「セレンディピティ」をつかむためには、外に出ることが大切だという。とりあえずは外に飛び出してみることがポイントだった。まあ、何事も行動を起こさない限り前には進まないことはわかる。