つねに「今の自分」を乗り越えていく・・・

「自己プロデュース力」齋藤孝著より。
「自己プロデュース力」とはあまり聞き慣れない言葉だった。筆者の造語だろう。この本のサブタイトルには“自分を演出できる人は成功する”とあった。
つまりそのためには、自己をプロデュースすることが効果的だという意味らしい。それは言葉を変えれば、アピールするということでもあるだろう。
齋藤氏は「自己プロデュース力」とは、自己の中身を、表に引き出していく力だと説明している。しかも、枠を決めずにどんどん作りかえることがポイントだった。
だからこそ、タイトルに挙げたことが本当の「自己プロデュース力」だったのだ。もともとプロデュースとは生み出すという意味があった。
プロは前に、デュースには引き出すという意味が込められていた。自分で企画することで、新たな自分が引き出されれば、確かに面白そうだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自分に素質があるからといって、ただ黙々とやっていれば通じるという時代ではない。
「自己プロデュース力」齋藤孝著より。
新しい自分を生み出すためには、自分の行動を企画して、実現していくことが大事だった。しかも、それを繰り返すことができるかどうかはさらに大事なことだった。
自分を押し出し、世間の人に知らしめるかというアピール力がなければ、能力はあっても埋もれてしまうことがほとんどのようだ。
才能があって仕事ができるだけでは十分ではなかったのだ。チャンスを自分でつかんで確実にものにすることが大事だった。その繰り返しで自分も大きくなれるという。

そして、チャンスは外の世界にアピールすることでつかめるというのもうなずける。そのためには自己を演出することがポイントだった。
単に仕事を待っているだけではチャンスはつかめない。むしろ自らに課題を与えて、仕事を作るべきだった。自分の好きなことどこまで拡大できるかどうかは大切なことだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アリは、スポーツ選手なのに「おしゃべり」が技になったはじめての人物である。
「自己プロデュース力」齋藤孝著より。
アリといって、すぐにその選手を思い出すことができるのはもう50代以上の人だけだろう。モハメド・アリは世界を変えたボクシングの革命児ともいわれている。
彼の有名なフレーズは「蝶のように舞い、蜂のように刺す」だった。これは彼を象徴する永遠に残る名言だろう。リングの中で華麗なステップを踏みながら、するどいパンチを繰り出す様子が目に浮かぶようだ。
黒人差別と戦い、ベトナム戦争に反対し、徴兵を拒否してチャンピオンのタイトルを剥奪されていた。しかも、ボクサーとしての最盛期にボクシング界かた追放されていたのだ。
ところが、不屈の精神でその後チャンピオンに返り咲いている。彼は自分を世の中にどう売り出していくか、意見をきちんと伝えるかという、自己プロデュースの天才だと、齋藤氏はいう。
もともと生まれつきのおしゃべりだったそうだが、それを自分の技として磨いていったからこそ、彼は全米でも尊敬される人物になったのだ。宣言した言葉と行動が常に一致していたのだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アリはおしゃべりと技化した・・・
「自己プロデュース力」齋藤孝著より。
スポーツ選手なのにおしゃべりの分野でも才能があったということらしい。日本のプロ野球選手でも、引退したあとに解説者などになれる人はごく一部の人だけだ。
しかも、現役時代にかなり活躍していて、しかも話が上手くなければ、解説の世界では生き残っててはいけない。その点元阪神の投手で国会議員の江本氏や監督歴のながい野村氏は歯に衣着せぬ発言が受け入れられている。
やはりマスコミ受けするかどうかも、その後の人生に影響するのだろう。また、じっくりと解説をしていた張本氏なども嫌いではなかった。桑田真澄氏の理論的で思いやりのある解説も素晴らしい。
話がそれてしまったが、アリは質問力もすごかったらしい。金メダルをとった後でも、アメリカの雑誌「ライフ」に載るほどの存在ではなかった。
しかし、アリはそれに掲載されるために、記者に相手の情報を引き出して、自分の要望が実現できるような接点を見つけようとしていた。相手が水中写真を撮っていると答えると、自分は水中でトレーニングをしているとまで言ってしまう。
もちろんそれはウソだが、それを信じさせるためにその演技をして、取材させてしまうほどだった。水中でパンチを打つ様子そ記者の特ダネとしてライフに掲載させることに成功していたのだ。頭の回転が速いこともわかる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・