知識だけでは感動は生まれません。

「感動する脳」茂木健一郎著より。
この第二章のタイトルは「意欲が脳を刺激する」となっていた。茂木氏は、知識を身につけた上で、それを使うことで感動は生まれると述べていた。
確かに単に知識を得たからと言って、それだけでは前に進むことはないだろう。それをいかに自分なりに使っていけるかのほうが大事なことだった。
ここで一つの例として小学校の家庭科の授業をあげていた。教科書に載っているレシピの知識は大切ではあるが、それだけで料理に興味を持つことは難しいという。
そこで大事なのは調理実習だった。自分の手を使って実際に作ることで、興味も面白さも実感できるのだろう。材料や調味料の分量も自分で考えながらやるからこそ面白味も出来上がったときの感動も味わえる。
茂木氏は次のようにも言っている。知識を吸収し、はやく自分で使ってみて自分の目で確かめてみたい。そういう意欲こそが感動を生んでいく、と。実に納得できることだと思った次第。

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あなたは定年になったかもしれませんが、あなたの脳は定年になどなっていません。
「感動する脳」茂木健一郎著より。
これと並んで、「脳に余生などという言葉はない」というのも実にインパクトがあるフレーズだった。第三章のタイトルは「感動は脳を進化させる」だった。
「もう年だから、若い頃のように頭が働かないよ」などと、ついつい自分もそんなことを考えてしまうことがある。茂木氏は単に自分が努力をしてないだけと述べていた。
当然ながら体力的なことでは実感してしまう。体も硬くなるし、疲れやすくなっているのは確かだ。しかし、脳は生きている限り自発的に活動しているらしい。
高齢になってから絵画を描き始める人もいるようだ。しかも描き続けることによって、どんどん絵を描く細胞が活発に働きだす人もいたのだ。むしろ年を取ったからこそ、活動を始める部分もあるという。これは実に新鮮な考えだと思える。

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多くの感動を味わうことで、人は自分自身や人生を変えることができる。
「感動する脳」茂木健一郎著より。
ここでの小タイトルは「感動は一瞬にして人生を変える」とあった。何かに感動することで、その世界に踏み込む人も多いようだ。映画、演劇など芸術分野だけでなくスポーツの感動を自分でも経験したくてのめり込んでしまうというのも理解できる。
私自身も学生時代見た学生による英語のドラマを見て、自分でもそんな経験をしてみたいと思って、参加した覚えがあった。確かにいい経験になりその後の最も印象に残る思い出ともなったものだ。
ここではドイツの文豪ゲーテのことについて触れられていた。ゲーテは何かの変化について、水成論と火成論の二つのモードがあるといったのだ。
前者は長い年月をかけて徐々に変化していく様子で、後者は火山のように一気に環境が変わってしまうことだった。この火成論こそが「感動」ということだった。
アインシュタインは五歳のときに父親に磁石を買ってもらった。すると方位磁石がいつまでたっても同じ方向を向いていることに気づき、その不思議な現象に感動を覚えたという。その感動が後に時間や空間について考えるきっかけになったのだ。

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