子供のときからいろいろ覚えてきたネタが全部で145本ある・・・

「落語家はなぜ噺を忘れないのか」柳家花緑著より。
花緑は五代目小さんの孫として有名だが、実力も伴っているのがすごい。戦後最年少の22歳で真打に昇進していた。
この本も読みやすくてすらすらと読んでしまった。やはり実力のある落語家は書いたものでも、人にわかりやすく伝えることも上手なのだろうか。
145本のネタすべてが高座で使えるわけでもないらしい。ネタには序列があって、即戦力ネタから少し作りかえる必要があるものまであるという。
そのうちいつでも高座にかけられるネタは24本だと分析している。これは噺がしっかり固まっているいるものを指していた。だからこそ必然的に高座にかける回数も増えていた。
そして、二〜五回さらえば高座にかけられるものは72本あった。残りの49本は作り直す必要があるものだった。これだけ分析しているだけでもすごいことだと思える。
それにしても、中には1時間以上の長い噺もあるのに、よく覚えていられるものだと感心してしまう。六代目三遊亭圓窓師匠は五百噺を達成してるというから驚きだ!

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ネタを覚えるときは、ノートに書き起こして台本を作っている。
「落語家はなぜ噺を忘れないのか」柳家花緑著より。
もちろんこれは花緑さんの場合だが、稽古をつけてもらった師匠の噺がそのまま一語一句もらさず書き写してあるのだ。単にテープを聞くのと違って膨大な時間がかかるだろう。
また、一方では基本的にノートは作らず、話したテープなどを聞くだけで覚えてしまう人たちもいるそうだ。その代表格は立川談春師匠だという。
後輩である花緑さんが談春からある噺を教えてくれと言われ、一回しゃべるのをじっと聞いていて、覚えてしまい、アドリブを入れてしゃべってしまったという。
メモも録音もしていなかったというから、驚きだ。それで高座に上がってしまうそうだ。また花緑の師匠である五代目小さんもノートは1冊も作らなかったそうだ。それぞれ覚え方にも特徴があるものだな。受験などもそうなのだろうな。

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いくらギャグで笑いをとっても、本来の噺のテーマがお客さんに伝わらなければ、意味がない。
「落語家はなぜ噺を忘れないのか」柳家花緑著より。
単にウケようと思えば、ギャグをたくさん入れれば笑ってもらえるだろうが、それだけでは本当の噺ではないということだ。
ここでの、小タイトルは“「守・破・離」の教え”、となっていた。つまり、最初は師匠の型をまねることで、基礎を叩き込むのが第一段階だった。それが「守」だったのだ。
さらに出稽古で様々な落語家の考えや芸を取り込んでいくのが「破」で、さらに進んで自分だけの芸に仕上げるのが「離」だと説明している。実にわかりやすい。
そう言えば、一般の仕事にも同様のことが言えそうだ。はじめは何でも基礎を覚えなければならない。場合によってはそれはマニュアルかもしれない。そして、いろいろと経験を重ねて応用がきくようにならねばならない。
さらに大事なのは、マニュアルをはるかに超えて、人とは違ったオリジナルの魅力を創り出すことではないだろうか。これなら、あの人だというような特徴が持てれば理想だろうな。

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たくさん教わったからうまくなるってものではない。
「落語家はなぜ噺を忘れないのか」柳家花緑著より。
ここでは「芸は盗め」と題していた。確かに教えられるだけでは、十分だとはいえないだろう。それをどこまでしっかりと自分のものにするかが大事なことだった。
教わったというだけで安心してしまうのがよくないらしい。実際は自分でさらに極めようと思わなければならないのだ。たくさん教わっても、それなりに自分で精進したからこそ花緑は上達したと実感している。
今では5人の弟子がいるそうだが、これまで一度も「もっと稽古をしろ」とか「噺をたくさん覚えろ」などど言ったことはないという。やる気があるなら教えましょう、というスタイルらしい。
実際来るものは拒まず教えるという。確かに自ら進んで弟子になったのだから、あとはいかに前向きに芸を盗もうとする意欲こそが大事なのだろう。
やはりあたり前のことをあたり前にやってるだけでは、何ごとも進歩しないのだろうな。仕事も自らの創意工夫があってこそ、その後の結果も楽しみになるものだ。

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