昆虫採集は決して子どもだけの楽しみではない。

朝日新聞」土曜版2013.9.7付けより。
これは生活面の「55プラス」というコラムの中で目にしたフレーズだった。ここでの表題は“大人だって虫捕り”だった。別に私自身、昆虫採集に関心があるわけではないが、自然のものを採集するのは楽しいと思えた次第。
ただ眺めるだけではなく、自分の手で採集できれば楽しさは何倍にもあるだろう。まず、ここには昆虫に関心を持つ時期は大きく3つにわかれるとあった。
幼少期、子と一緒に虫取りに行く子育て期、そして退職後だという。なるほどと思った。うちは男の子がいなかったので虫取りに連れていった覚えがない。自分が小学生の頃にはカブトムシやクワガタなどよく採ったものだった。
今のところに住んで25年になるが、越してきて近所の川沿いを散歩していたら、カメが甲羅干しをしているのを目撃して、いずれつかまえて見たいと思っていた。
そして、ようやく数年前に網を購入してカメを数匹とることができたのだ。50代でも実に興奮するほど嬉しかったものだ。5匹のうち3匹は甥のところにあげ、2匹は飼っていたが、脱走してしまった。その後は取りにはいっていない。
ここには、次のようにあった。「昆虫採集の楽しさは、人の『狩猟本能』を満たしてくれること」と、しかもそれは子どもも大人もないようだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ストレスにもよい面がある・・・
朝日新聞」土曜版2013.9.7付けより。
これはもう何年にもわたって連載されている「101歳・私の証 あるがまま行く」と題して年齢の部分だけ変化しながら、日野原先生が書いているエッセイのなかにあったもの。
先生はあと2カ月で102歳になるとう。しかも現在も講演や原稿執筆で忙しい毎日を送っているそうだ。でも、精神的負担より、社会から必要とされている喜びが大きく、それが「よいストレス」になっていると語っている。
このストレスという概念を一般に広めたのは、カナダの生理学者ハンス・セリエ博士(1907〜1982)とあった。ストレスはもともと工業用語だったらしい。鉛の棒を両側から強く押すとくの字に曲がる。この状態を嫌な心理的重圧を考えたようだ。
そして、晩年このセリエ博士はストレスにもよい面があることに気づいたのだった。それをユーストレス(eu-stress)と名付けていた。人間は悪いストレスも良いストレスに変えることができるという。
それは人から期待され、自ら進んでチャレンジするときに変わるのではないだろうか。そんな経験をできるだけ重ねてみたいものだな。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「感動することをやめた人は、生きていないのと同じことである」
「感動する脳」茂木健一郎著より。
上記のフレーズはアインシュタインが残した言葉だった。感動はしばしばいろいろなものとの出会いから生まれることが多い。人、街、風景などの自然、味覚なども入る。
実際に言葉には出さなくても、映画、演劇、本を読んだ時なども感動することは多い。新しい出会いは嬉しさも感動も同時に与えてくれるものだ。
しかし、そんなことを感じないような時は、肉体は活動していても、精神は死んでしまっているのと同じようなものらしい。それではもったいない。
むしろいろりろな物事に目を向けて、新しいものを見ていくことで感動は味わえるようだ。そのために必要なのは創造性だと茂木氏は語っている。
まずは意欲を持つことで創造性は芽生えてくるということらしい。創造性がなければ感動も生まれてこないと氏は繰り返していた。まずは身近なものに前向きに取り組むことかな。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
新しいものを生み出す創造力というのは、体験×意欲です。
「感動する脳」茂木健一郎著より。
たとえば教育という現場を考えた時、教室の中で教科を教えるだけでなく、自然の中に子供たちを連れていくことで経験を通して学んでもらうこともできる。社会見学でいろいろな体験をすることでも学べる。
ところが、子供自身がそれに興味や関心がなければ、あまり意味がないことになってしまう。ただ疲労感だけが残ってしまうことになる。
つまり意欲や興味を抱かせることが最も難しいことだということになる。人生でも、一流大学に入ればそれでゴール、一流会社に入ればそれで十分ということはない。
実はそこから先が問題で、いかに意欲を持って学び、仕事をするかが大事だったのだ。いくら体験や知識があっても、意欲が失われた時点で可能性はゼロになってしまう。
また、逆なことも言える。多少経験や知識が少なくても、それ以上の意欲があれば、自分の限界も可能性も拡がっていくということらしい。するとまた体験や知識が増してくるということらしい。