話し言葉より書き言葉として提示する。

『一瞬で伝える「わかりやすさ」の技術』齋藤孝著より。
会話をしていて、それだけで提案や用件が済んだと思うのは大きな勘違いでもあるようだ。相手はこちらが話していることがすべて理解できているとはかぎらない。
話している音だけでは軽すぎる場合もある。ところが、書いたものとなるとやはりそれなりの重みも出てくるものだ。また相手に印象を残すこともできる。
話し合ったことが紙に書かれていれば、より理解されると思われる。それだけ書き言葉は責任が重いということらしい。それなりにしっかり練って書くことも必要だろう。
頭でもやもやとしていたものも実際に紙に書き出してみると、自分でもややすっきりすることもある。目に見える形にすることで頭の中も整理されるのだろうな。

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「何かを見れば何かを思い出す」という思考を見につける・・・
『一瞬で伝える「わかりやすさ」の技術』齋藤孝著より。
これは“一人連想ゲームのすすめ”と題した小タイトルの部分にあったフレーズだった。もともと完全なオリジナルなものを考え出すのは難しい。
むしろ、連想していくことで何らかのヒントがつかめることもあるという。その結果としてオリジナルな作品になることも多いらしい。
発想力というのは、何かを見て別のものを思い出すということを習慣化させることで可能なようだ。そこに「驚き+納得」があればいいらしい。
別の業界のヒット商品を、うちの業界に活かせばこういうものになるという具体例があれば説得もしやすいことは理解できる。
次のように、ポイントが繰り返されていた。「そいうえば〜」と人に話せるようなエピソードを思い出したり、発想したりすることが大事らしい。

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エッセイ力は雑談力。
『一瞬で伝える「わかりやすさ」の技術』齋藤孝著より。
ブログやツイッターフェイスブック、ラインなどで多くの人に自分の意見などを発信するチャンスは増えてきている。
ネットでは単なる通信だけではなく、自分の考えや意見や感想を述べる場でもある。しかし、読んでもらうためには独りよがりの文章では飽きられてしまう。
もし上手な雑談ができるなら、それを活かすことを考えるべきなのだろう。それには構成力も必要になってくる。同じ話を繰り返していれば、それなりに話の要領もつかめそうだ。
そして、しっかりと話が構成できたものを、文章としてまとめれば、エッセイになるようだ。とは言っても、「話すように書く」ではダメだという。話が上手くても文章が書けない人もいるし。やはり訓練しかないか。

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