一見地味な仕事が、感性を磨くチャンスになる。

「復活して成功する57の方法」中谷彰宏著より。
かなり以前から、感性という言葉はよく聞かれるようになってきた。その感性は、意外にも単調な仕事で磨いていくものだという。
花形の職場は感性を発揮する場であって、感性を磨く場所ではなかったのだ。むしろ雑用をしっかりやることで感性は磨かれるようだ。
筆者はクリエイティブでないものをクリエイティブにするほうが、より感性が求められると指摘している。なるほどと思える。
誰もができることで差をつけることは難しい。しかし、感性が磨かれていれば差がつくのだろう。だからこそ地味な仕事は感性を磨くチャンスだと捉えるべきなのだろう。
地味なことをこつこつとやっているうちに、ある時ちょっとしたアイデアがひらめく時がある。探していた何かは意外に身近になるのかもしれない。

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不調な時ほど、ちがうところから吸収していくことで活路が開ける。
「復活して成功する57の方法」中谷彰宏著より。
たとえば、レストラン業界で仕事をしている人は、レストラン業界だけから学ぼうとしていると、筆者は指摘している。同じようなことが、べつの業界にもいえるのだろう。
つまり行き詰ってしまうと、同業者だけから何かをつかみ取ろうとしてしまうようだ。それよりむしろ別の業界からの方が新しいヒントをつかめるものだという。それは頷ける。
ほかでやっているサービスを別のところでも活かせることは多い。日常のすべてからヒントを得ようとすればいいだけのことだった。
もし調子が悪くなったら、別のところからヒントを得るチャンスだと考えればいいのだ。視野は広く持つほど、可能性も拡がると言えそうだ。

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何か途轍もないことをやりとげたスポーツ選手に、人は感動する。
「超思考」北野武著より。
つい数日前のことでいえば、メジャーで活躍するイチロー選手が日米通算で4000本安打を達成したことが思い出される。長いメジャーの歴史でもそれまで2人しか達成していない記録だ。
もちろんメジャーだけの記録でなないから参考記録ということになるのだろうが。本当にすごいのはメジャーで10年連続で200安打以上を達成したことかもしれない。
いずれにしても、後者の記録は誰も達成することができなかった大記録に違いない。これにはメジャーの選手誰もが脱帽することだろう。当然ながら人々に感動を与えてくれた。
途轍もないことは、別にスポーツの世界だけのものではない。舞台公演の記録もすごい記録ではある。それだけ多くの大衆に支持されている証拠でもあるからだ。自分のなかでもそんなものが持てたらいいのだが。

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自然界には、・・・まるでアートのような造形物がある。
「超思考」北野武著より。
たまたまこのフレーズが気になったのは、最近デジカメを持って近所の植物の写真などを撮り始めたからだった。まず、上記フレーズの“・・・”の部分には次のような言葉が入っていた。
“蟻塚だのスズメバチの巣だの、蟻や蜂はちっともそんなことを考えて作っているわけじゃないのに、”とあった。ついでに私は、クモの巣も実にきれいに上手くできているものだと感心してしまう。
そこに雨粒がついて光っているとまたきれいなものだ。6月ごろ自宅のガクアジサイの花の中身を接写してみたら、まるでアートに思えた次第。
北野氏はしばしば映画の中で自作の絵画を使用しているが、実に素晴らしいアートだ。それは氏が作品を作ろうと考えたものではなくて、自分が描きたいように描いているだけだという。
つまり迎合しないからこそ純粋にいい作品ができるのかもしれない。これからも自然界にあるアートのように見える造形物に気づいてみたいものだ。

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人生はスポーツじゃない。喧嘩だ。
「超思考」北野武著より。
そして、このあとには次のように続いていた。「大切なのは結果であり、その結果を手にするための要領だ。負ける感喧嘩はしないのが、喧嘩に勝つための鉄則だ」と。
人生を考えた場合、いつもスポーツのようにフェアプレーで勝ったり負けたりの繰り返しではしょうがないという意味かもしれない。どうせなら勝ちを目指せという意味かもしれない。
自身は映画監督や絵画を描いているが、本職はタレントだという意識を持っている。しかもそれは時代に依存した怪しい商売だと自覚していた。
確かにその時代にテレビやマスコミから必要だと思われなければ消えていくのみだ。もちろん本人の実力も努力がすごいから常に、また長年にわたってタレントとしての高い地位を築いているのだろう。
自分が最も得意とするところで勝負をして、勝っていかなければならないと言っているようでもある。北野氏は映画監督は本職ではないとはっきり語っているのも印象的だ。

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