活字の中に手書きの部分があれば、必然的に目立つし、“熱さ”も伝わ

『一瞬で伝える「わかりやすさ」の技術』齋藤孝著より。
仕事ではしばしば資料が必要なことが多い。しかし、そこにびっしりと印刷された文字ばかりだと、すぐには内容やポイントがつかみづらい。手にしただけでうんざりしてしまうものだ。
しかし、そこに手書きでここが重要だとわかるようにマークしてあれば、理解の助けになる。またレイアウトや図があれば、理解しやすいものだが、美しいだけで伝えられるとは限らない。
何を訴えたいのかを明確にするためには、むしろアナログのほうがいいこともある。活字だけでは、見やすくても作成者の主体性も熱も感じられないというが、以前からその通りだと思っていた。
私自身かなり前から、”一見完璧に見えるものほど不完全”だと考えていた。たとえば、パンフレットが一枚あったとして、それだけでは何がポイントなのかは分かりづらい。
むしろ、マーカーや丸で囲んであれば、注目してもらえるものだ。時間をかけずに伝えるためには、やはりキーワードをアナログでわかりやすく表現することかもしれない。

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説得に重要なのは「共感してもらう」こと。
『一瞬で伝える「わかりやすさ」の技術』齋藤孝著より。
説得というとややいやな感じがするものだ。無理やりわからせるというようなイメージもある。しかし、それでは本当に話を相手に受け入れてもらえるかどうかは疑問だ。
むしろ、相手と一緒に考えていくということも必要なようだ。齋藤氏はこれをわざと「?」という穴をくつって、そこをアイデアで埋める作業に携わってもらう、と表現していた。
これは一般的なプレゼンやコミュニケーションについても同じことが言えそうだ。つまり問いで相手の興味・関心を惹いて一緒に考えて解を導き出すということだった。
そして、当初想定した結論通りに誘導できればベストなのだろう。だから、ある意味「コミュニケーションは問いから始まる」と決めてかかったほうがいいようだ。練習してみたいものだ。

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芸能の世界も、いつの間にか家電メーカーのようなことになっている。
「超思考」北野武著より。
その心は、新製品を次々と売り出して、旬が過ぎた旧型は使い捨てにするということのようだ。長持ちされたら、新製品が売れなくなってしまうからだった。
同様なことが歌手やお笑い芸人にも言えるらしい。北野氏によれば、昔の芸人は芸を売ったものだが、今の芸人はキャラクターを切り売りさせられているという。
芸人になりたい人は日本中にいくらでもいる。テレビに出られるならどんなことでもするのだろう。しかし、キャラクターはすぐにすり切れて飽きられて、使い捨てになってしまう。
若手にすれば、長い年月をかけて芸を磨かなくても、ちょっとしたキャラクターだけで人気者になることができる。しかし、視聴者はいつまでも同じ芸を見たくもないものだ。
もう一つ気になったのが、「テレビという装置が、流れ作業の機械のように芸人を大量生産するようになった」だった。実にこれは厳しい現実でもあるな。テレビが芸を育ててくれるわけではなかった。

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夢を売る商売は、永遠に廃れない。
「超思考」北野武著より。
ここで引き合いに出されていたのは、昔アメリカであったゴールドラッシュのことだった。金が出たという話が広まって、大量の人が集まって街までできてしまったという。
ところが、その押し寄せた全員が金持ちになったわけでもないようだ。そんな噂が流れてきた時点でもうピークは過ぎているのだろう。これは株式相場でも似ていそうだ。
マスコミを通じて一般に情報が流れた時点でもう下降線をたどっているのだろう。砂金を探すより、そこに集まった人み向けて商売を始めたひとの方が儲かったのだ。確かジーンズもそうだったはず。
今では金は通用しないだだろうが、似たように夢を売る商売はあった。「あなたの中に眠っている才能」「あなたが本当にやりたい仕事」「やりがいのある仕事」などもそうらしい。北野氏はそれらは幻だというが、きっとそうだろうな。

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眠っている才能なんてものはない。
「超思考」北野武著より。
才能はあるかないかのどっちかだ、と北野氏はいう。探しているのは、むしろやりたい仕事より、楽して稼げる仕事なのではないかと指摘している。なるほどこれはわかりやすい表現でもある。
自分の才能を生かせる仕事に就きたい、というのもよほど余裕があるからかもしれない。その前にどんな仕事でも仕事にありつけるかどうかの問題が先だろう。
北野氏の経験からは、「仕事の面白さとか、やりがいというものは、何年も辛抱して続けて、ようやく見つかるかどうかというものだろう」と話している。
最初から簡単に要領がわかってできたら、仕事の満足度も少ないだろう。やりがいは自分の苦労に伴って得られるとも言えそうだ。誰でもが簡単にできることなら自分の存在価値もないとも言えそうだ。

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演芸というツクリモノとスポーツの違い。
「超思考」北野武著より。
これは「人知の及ぶ範囲」という章の中での小タイトルだった。かつて漫才ブームというのがあって、ツービートもそのブームの影響で売れたコンビだった。しかし、北野氏は飽きられないように必死だったと振り返る。
どんな人気ものもいつかは飽きられてしまう。しかし、それほど漫才に執着しなかったことがその後の活躍にもつながっているようだ。無理してしがみつかないことも時には大事なことのようだ。またそれだけの実力を蓄えていたとも言えそうだ。
自身の言葉では「人気者になってテレビに出れば出るほど、飽きられるのが俺たち芸人の宿命なのだ」という。そこで大事なのは、飽きられないようにネタを作り続けることだった。ネタ作りができなければ消えていくしかない。
芸人はツクリモノで勝負しているが、スポーツのような真剣勝負にはかなわないと感じていたようだ。スポーツは真剣勝負そのものが、エンターテイメントになっている。そこが強い。もちろん実力が伴ってのことだろうが。

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