いまの時代はあらゆることに対してイベントが必要となっている・・・
「ビジネス革新の極意」鈴木敏文齋藤孝著より。
この章のタイトルは“ニーズを感知し、人々を刺激するイベントの必要性”となっていた。とくに閉塞感がある現代では、人々は刺激を求めているということだった。
商売でも常に提案型のイベントは非常に大切だと、鈴木氏は述べている。イベントは人々の注意をひきつけるものだった。誰かが並んでいると、そこに何があるのだろうと気になるものだ。
かなり前のことになるが、イトーヨーカドーで消費税分還元セールを行った時のことだった。5%の値引きで、期間中の売り上げが6割増という盛況だったと振り返っている。高級品のカシミアコートがよく売れたという。
すでにコートは持っているはずなのに、より質のいいものを求めて購入したのだった。つまり消費税分還元セールにイベント性を持たせて、お客様の心理を大きく刺激したのが効果的だったのだ。

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いまは価値があると思えば、ものを買うという「価値訴求」の時代。
「ビジネス革新の極意」鈴木敏文齋藤孝著より。
つまり価格訴求だけではないということだった。確かに安くていいものであればなおさらいいのだろう。まったく同じ商品なら安い方を選ぶのは当然だが、価値に対して価格はどうかということが大事だったのだ。
ここでの小タイトルは、“人々が起こすあらゆる行動は、心理によって決定される”、だった。人間の欲望は無限だから、きっかけさえあれば、どこかで発散させたいという心理があると鈴木氏は考えていた。
消費マーケットの問題は「経済学」からむしろ「心理学」の分野に移っていると鈴木氏は考えていた。だからこそ、人の心を動かすイベントを行って、新たな需要を喚起することがポイントだった。
つねによりいいものを追求していかねばならないことになる。つまり、マーケティングではどこまでが到達点かということはまったくわからない。大事なのはどんな商品一つでも、おにぎり一つでも、イノベーション(技術革新)がなければならなったのだ。チャレンジの繰り返しということだろうか。

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現状に安住してしまいがちな自分自身こそ、戦うべき競争相手・・・
「ビジネス革新の極意」鈴木敏文齋藤孝著より。
齋藤氏は、セブンイレブンは消費者の目から見ると、時代の流れに敏感に反応しているように映ると表現していた。それは常に新しい何かを取り入れて変化しているということなのだろう。
さらに一種の生物に近いのではないかと考えていた。気温など自然に対応しているところが、生物とダブっていたのだ。企業を生物にたとえるなど、実に面白い。
それに対して、鈴木氏はお客様のニーズは一定でなく、常に動き続けていると指摘していた。だからこそ、その変化に対応することが大事だった。
だからこそ競争相手は他者よりも、お客様のニーズであった。変化に合わせて自分をどれだけ変えていけるかがポイントだった。これを端的に表わしたのが上記フレーズだった。

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何か一言、心のこもった言葉を顧客は求めている・・・
「ビジネス革新の極意」鈴木敏文齋藤孝著より。
齋藤氏は、接客マニュアルはあっても、その域を一歩も出ていなければ、やはり引きつけられないと指摘していた。確かにそれは当然だろう。
鈴木氏は、お客様がどんな人かによって、かける一言が異なっていて当然だというようなことも述べていた。しかもそれが普通にでることが大事だったのだ。
齋藤氏が家族でよく食事に行く店があって、そこの店員さんが家族全員を受け入れてくれれ、心に潤いを与えてもらっている気がするという。そんな店だからこそ好意を抱くようだ。
コミュニケーションで最も大切なのは、相手に反応することだった。心が通じるからこそ買いたくなるというのも当然だ。ものを買う時は(その人の)「気持ち」を買っているというのも頷ける。

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収集は、よく考えたら意味のない行為・・・
「思い出した夢は、実現する」中谷彰宏著より。
子供のころを思い出してみれば、ほとんど意味のないものでも楽しんで蒐集したものだった。河原へ行ったらきれいな形の石を拾い集めたりしたこともあった。中谷氏は牛乳ビンのふたも凝って集めたという。
私はこれを書きながら思い出したのは、中学生の頃、新聞に映画の広告が掲載されていて、その英語のタイトルを切り抜いて集めたことがあった。日本語の題名と異なっているのが面白いと思ったものだった。
あと、新聞のスクラップをやったこともあった。別にテーマは決めてはいないが、との時関心があることを後でまた読もうと思ったのだ。しかし、ほとんど再読はしなったが。
ただ単に集めること自体が面白かったのだろう。すると、それから40年以上経った今では知らないうちに、“ちょっと気になるフレーズ”を集めていたのだ。やや共通しているような気もして驚いた次第。意味のないことを繰り返すのが好きなのだろうか・・・

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1個しかなくても、人に見せないようなものでも、立派な収集。
「思い出した夢は、実現する」中谷彰宏著より。
この章のタイトルは“たくさん集めて、ワクワクしよう”、だった。確かに何かを集め始めて増えていくとその過程が楽しいものだ。
私が子どものころの収集モノの代表は切手だった。しかし、金額が高いものは買えないし、お金には限度があるから、長くは続けられない。
むしろ、お金では買えないものを集めたりもしていた。箸袋やマッチ箱もあった。グリコの小さいおまけを集めたこともあった。
大人になってからは、自分で作ったものを集めるというより、集まったともいえる。自分で描いた絵画なども、人にあげられなかったり、捨てられないものだ。
またオリジナルな小物や工芸作品などもなども大量に作って集めておけば、個展を開く人もいるだろう。そうなれば、ある意味ライフワークとも言えそうだ。

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