人と同じことをしているうちは、「努力」とは呼ばない。

「継続は、だれも裏切らない」内藤誼人著より。
ここでの継続とは、努力の継続のことだった。いくら努力したところで、継続が伴わなければあまり意味がないということだが、それは納得できる。
たとえ、思いつきでも、それを継続することで、自分の身につくことも多いのではないだろうか。思いつきではじめたことも、すぐにやめてしまえばただの時間つぶしにしかならない。
またその努力も、人と同じ程度のものなら、そこから得られる結果も平凡なものになるのは当然だ。時間も創意工夫も人以上にやって初めて努力したといえるのだろう。
しかし、いくら自分が努力したといっても、人がそれ以上やっていれば、差は開いてしまうだろう。とかく、自分のことは甘く見てしまう傾向があるから、注意せねば。

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努力をするときには、「自分一人で」が絶対条件・・・

「継続は、だれも裏切らない」内藤誼人著より。
スポーツではチームプレーが優先される場合が多い。練習もチームですることになる。しかし、基本的な努力は、チームではなく、個人でしなければならなかった。
野球もチームプレーではあるが、個人の能力が高くなければ、チームとしての力も強くならない。個人の力が十分発揮できてこそ、チームの勝利に結びつくといえる。そこで大事なのが個人練習だった。
勉強となると、むしろ個人の努力がものをいう。グループ学習となると、誰かが手を抜いてしまうらしい。能率も悪そうだ。
グループとかチームでの結果だけが問われる場合は、やはりどこかに甘えが出てきてしまうようだ。人を当てにしてうるうちは、まだまだ本物の力はついてないということかもしれないな・・・・