特上を持つと、上が当たり前になる。

「ワルの作法」中谷彰宏著より。
これは別にモノを持つことだけを意味していなかった。たとえば、自分よりはるかにむちゃくちゃあるいはでたらめをやっているひとを基準に置いた場合だった。
すると自分がやってることなど大したことがないと感じることがある、というようなことだった。自分がやっていることなど実に小さなことに見えるものだ。
私自身はファッションにはあまり関心がないが、もしファッションでもちょっとだけカッコいい人をターゲットにしていると、ファッションの幅はどんどん狭まるらしい。
イデアも同じようなものだった。とてつもないアイデアを基準にすると、普通よりかなり飛躍的なアイデアが出てくるようだ。
ここでの結論として、筆者は次のようにまとめていた。“「さくがに、ここまでは」というモデルを持とう”、と。常に上にはさらに上があるということを自覚せねば・・・

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丸くなる、角がとれたというのは、実は老化したということ・・・
「ワルの作法」中谷彰宏著より。
老化するのは、必ずしも年齢によるものとは限らないのだろう。考え方や生き方が、柔軟でなくなったり、諦めが早くなったりしても、そう言えるのではないだろうか。自分のことかもしれない。
ワルであるということは、まだ若いことだと筆者は語っていた。もちろんここでのワルはすばしっこい、とか要領がいい、ダンドリがいいなどという積極的な意味で使っている。
年をとるにつれて、むちゃとか冒険はしなくなるものだ。そうなると、面白味もない。刺激もほとんどなくなってしまう。となれば、丸くなったり角が取れるのも遅らせたいものだ。
ここに筆者が考える老化の3条件があった。1、さびる。血管が硬くなると恐ろしい。2、しぼむ。確かに水分は若いうちのほうが多い。3、すさむ。精神的にヤル気がなくなることだった。こんな現象に気をつけねば。

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「努力すること」自体に価値を見出せ。
『「人たらしの」ブラック謝罪術』内藤誼人著より。