手頃な人生の小道具を、ものをどれだけ揃えることができるか・・・

『板坂元の「知的生活」事典』板坂元著より。
筆者はそれが、その人の幸福度を測る物差しになるのだ、と確信していた。ふだんこれは忘れがちなことだが、身近に使いやすい文房具があるだけでも、快適さを感じることはある。
逆にパソコンにしても、使いづらいとスイッチを入れて開くのが億劫にもなりそうだ。いくら高度な機能が搭載されていても、それを快適に使いこなせなければ意味がない。
実際普段使っているパソコンでも、機械が持っている能力のうち、使っていない機能のほうがほとんどだと思われる。それなのに、ケータイでもパソコンでもどんどんバージョンあっぷしてしまうのには、やや腹が立つ。
話がそれてしまったが、自分の場合モノへのこだわりのうち、一番は筆記具かもしれない。やはりなめらかに書けるゲル状インキのボールペンが使い易いので、年に数回はまとめて買ってきている。
また、しばしば一筆箋を使うこともあるが、それも市販のものにはお気に入りがないため、自分で作って使ったものを使用している。季節ごとにイラストを変えられるので楽しめるからだ。しかも、市販のものに比べて格段に安くつくから、どんどん消費できるのも気分がいい理由でもある。

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集める情熱が失せたら、生きがいを喪失しかねない。
『板坂元の「知的生活」事典』板坂元著より。
これは第2章の“人生に彩りと粋を加えるヒント”というところで、「愉しみは無用の用」と題して書かれていた部分にあったワンフレーズだった。
別にオタクではなくても、何か自分がお気に入りのものを集めるのは愉しいものだ。人から見れば、何でそんなものを集めているのか、と思われるようなありふれたものでも、あるテーマを持って集めるのは興味深い。
まあ、コレクションできるものを見つけられた人はそれだけでも人生を楽しんでいると思われる。しかし、ほとんどの人は自分が興味あることを見つけられないのではないだろうか。
車のブレーキやハンドルにも遊びがある。だからこそ車が扱いやすいのだろう。同じように一見ムダだと思えるモノ集めもそれがあるからこそ人生をより楽しめるとも言えそうだ。

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なりふり構わぬというのは、やはり老化現象の一つである。
『板坂元の「知的生活」事典』板坂元著より。
これは、第4章“知的でダンディな装いとふるまいへのヒント”と題して書かれている部分にあった。そこには、身だしなみやエチケットは教養、見る人にはわかるもの、と述べられていた。
年をとるにしたがって、ついついどうでもいいや、と思いがちになってしまうが、それは老化現象だと言われるとやはり、ショックでもある。
別におしゃれに関心などないが、着飾るというより、自分なりのスタイルを持っていることは必要だと思われる。流行などは若ものに任せておけばいいのだろう。
まあ、人から見て、そこそこ恥ずかしくない恰好でいられればいいのだろう。とはいってもそう簡単でもなさそうだ。たとえば、靴はそれなりのものを履いているかといえば、ノーだった。
この章の中にもお洒落は靴で締めくくるとあったが、やはりかかとまでは注意が行きとどかない。あまり神経質になりすぎても、しょうがないだろうが。

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便箋や封筒は自己表現の手段。
『板坂元の「知的生活」事典』板坂元著より。
便箋や封筒自体を使う頻度は、ほとんどなくなりつつあるのではないだろうか。簡単なことならもっぱら、メールに頼ることが多そうだ。
しかし、もし自己表現をしたいと思ったり、少しでも人に印象づけを望む場合は、メールよりアナログの手紙のほうがベターだろう。
DMの場合、宛名はほとんどが機械で印刷された文字によるものばかりだ。大量に送るわけだから、それが当然だろう。そこで、もし仕事でもアピールしたければ、また他との差別化を図るなら、手書きはいい方法だと思われる。
そこで、封筒や便箋までもオリジナルなものなら、より一層効果的ではないだろうか。個人的なことになるが、かつて長年営業の部署にいたときには、オリジナル便箋をパソコンで作って手書き文字で送付していたことを思い出す。
その方が、覚えておいてくれる確率は、たんなるDMよりはるかに高いことを実感したものだった。内容うんぬんより前に、自分らしさがある用紙を使うのも、おもしろいものだ。

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社交のコツの一つは、相手と共通の話題を持つ、ということにある・・・
『板坂元の「知的生活」事典』板坂元著より。
これは、“知的な会話のエッセンス”と題した個所で目にしたフレーズだった。なかなか知的な会話などしたことはない。というより、できそうもない。
普段から、あまり知識を仕入れていないからだ。一度本で読んだぐらいでは、すっかり忘れてしまい思い出せない。かなり興味深いことを研究でもしていれば別だろうが。
まあ、世の中には、かなり専門的なことをしゃべれる人も多くいることは確かだ。そんな人たちは、普段から幅広く知識を仕入れているのだろう。
また知っていることをわかりやすく、面白く伝えることはそう簡単ではない。それがうまいと思えるのはジャーナリストの池上彰さんだろう。だからこそ、テレビでは引っ張りだこ状態なのだろう。
話がまたそれてしまったが、人と語れる人になることについて、板坂氏は次のように提案していた。まず、人も自分も面白がれる話を、常時数十個メモして、用意しておくことだった。そして、即座にそれらを取り出せればいいのだ。でもはたしてそこまでやる人がどれほどいるか・・・

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