実力以上に仕事をやろうとすると、どこかに無理が出る。

『「人たらしの」ブラック謝罪術』内藤誼人著より。
いきなり「人たらし」という言葉を聞くといいイメージはない。ここでは、肯定的にとらえていた。たとえば、社交辞令、お世辞、ちょっと相手を持ち上げる行為をすれば、相手は喜んでくれるはずというのが前提になっていた。
まあ、相手が気分良くなれば、それはそれで仕事やコミュニケーションもスムーズに運んでいくと思われる。筆者は相手を喜ばせるウソなら、いくらついてもかまわないと考えていた。
さて、仕事では全力を尽くしてはいけないようだ。むしろ70%くらいの力を出して無理なるのがポイントだという。働けば働くほど、たくさんの仕事を押し付けらるからだった。
昨日も、同僚が「仕事は楽しくやらねばね」などと言っていたが、私も心のなかでその通りだと思った次第。どうせやるなら楽しいプレッシャーのなかでやりたいものだ。
たしかに息が詰まるほど仕事をしている人をみると、まったく余裕が感じられないし、魅力もないものだ。ほどほどに手を抜いて、仕事を調整しながらできればベストなのだろう。

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頑張っている人に、さらに鞭打つようなことができる人はいない。
『「人たらしの」ブラック謝罪術』内藤誼人著より。
だからといって、本当に頑張る必要はなかった。つまり、人の3倍も働いているフリをすればよかったのだ。まあ、それでそこそこの結果が残せれば、という条件だろうが。
いつも頑張っているように見えるだけでも、ちょっとしたミスなど仕事がうまくいかなかったときにも、許してもらえる可能性が高くなるようだ。つまり努力する姿を見せておくことは必要だったのだ。
たとえば逆に、ふだん仕事中からおしゃべりが多い人は、それだけでサボっているとも見られるかもしれない。あまり手を抜いているところを見せないというのもポイントに思える。
私にはできないが、人より早く出勤したり、しばしば遅くまで残業していれば、仕事をしているようにも見えるものだ。場合によっては、能率の悪いやつとか、要領が悪いと思われるかもしれないが。

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不満を抱えている人にとってみれば、目に見える“お詫び”がほしいもの・・・
『「人たらしの」ブラック謝罪術』内藤誼人著より。
目に見えるお詫びとは、誠意などという目に見えない対応ではなく、代金から10%値引きする、とか返金するなどの具体的な提案だった。
ただ言葉で「どうもすみません」などと詫びているだけの謝罪では、なかなか相手に納得してもらえないことも多いものだ。結局誠意というものをどう形にするかがポイントだった。
クレームが発生した時には、たんに頭を何度も下げたからといって、解決できないことの方が多そうだ。むしろ早い適切な対応があることで、評判を高めることもできる。
場合によっては、誠実さや正直さだけでは、解決できないことも多い。時には贈り物や値引きは、スピーディーな解決に役立つものだ。
問題は早く前向きな仕事につけるようにコンディションを整えることだろう。そのためには多少の出費はしょうがないと割り切ることも必要だな。

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ひとつやふたつの失敗でいちいち意欲を失っていたのでは、笑顔で仕事ができない。
『「人たらしの」ブラック謝罪術』内藤誼人著より。
誰でも完璧な仕事をしたと思っていても、なかなかそうはいかないものだ。周りの環境の変化でうまくいかないことも多い。反省しても仕方がないときもある。
反省ばかりしていたら、仕事のやる気も失ってしまいそうだ。結果が悪い時でも、それを他人や状況になすりつけてしまったほうがいいらしい。そうすれば、落ち込まなくてすむからだった。
ここにおもしろい話があった。劇作家のオスカー・ワイルドは自作の初演のできがさっぱりだった時でも、気にしていなかったという。つまり「作品はよかったのに、観客がダメだった」と答えたそうだ。
まあ、これくらいの神経でないと一流にはなれないのかもしれない。あるいは、すでに一流だったからこそ、そう言えるのかもしれないが。お笑い芸人でそこまで言える人はほとんどいないだろうが。せいぜい反省は、し過ぎるなということだ考えたい。

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演技力のある人より、最低限のマナーを知っている人のほうがチャンスをつかめる。
「人生はオーディションの連続だ」中谷彰宏著より。
一般の人にとって、オーディションなどはほとんどなじみがないことだ。しかし、これは営業での接客や面接と広く考えることもできる。あるいは、日々出会う未知の人とのコミュニケーションとも考えられる。
しばしば第一印象ということを耳にすることがあるが、これもその時の印象は後まで残っているものだ。とすれば、できるだけいい出会いをするに越したことはない。
営業ならお客さんに気に入ってもらえるかどうかは大きな問題だ。またその後の相性も結果に影響するだろう。さて、オーディションにもどれば、チャンスがつかめないのは才能がないからだと諦めがちだが、そうでもなかった。
むしろ大事なのはその前に、人間としての最低限守らなければならないマナーを覚えることだと中谷氏は語っている。もうこうなれば、役者やダンサーに限ったことではない。
成功しない人はマナーが悪い人だともいう。もし、お店が流行らなければ、店員さんのマナーが悪いからかもしれない。やはり美味しい料理をより美味しくするのは、感じがいい挨拶だろう。お店のインテリアなどは二の次かもしれないな。

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オーディションは、1回こっきりではない。
「人生はオーディションの連続だ」中谷彰宏著より。
すでにプロとして活躍している役者やダンサーでも、自分が出演したい舞台や映画にはオーディションを受けねばならないことも多い。
登場できる役は限られるから、受かる人のほうが少ないのは当然だ。たまたまその時の企画には合っていなかったというだけのことなのだろう。
演技がいくらうまくても、その役(キャラクター)のイメージに合うかどうかが合否を左右しているのだった。そのオーディションに落ちても、そこで自分をどれだけアピールできるか、印象づけられるかが、次の仕事には大事なことだった。
むしろ通ることより、覚えてもらえるかに念頭を置くことが、大きな成功につながっているようだ。その時にいくら頑張っても監督のイメージに合わなければ通らないのだから。
しかし審査員に印象づけられれば、次の仕事の時に思い出してもらえるかもしれない。落とした人は審査員の財産だともいうが、そういう考え方もあるのだと気づかされた。

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「落ちたけど、面白かった」というチャレンジをすることは大切・・・
「人生はオーディションの連続だ」中谷彰宏著より。
どんなことでも、すべてうまくいくわけではない。むしろ思い通りにいかないことのほうがほとんどではないだろうか。チャレンジ自体を楽しむという考え方もありのようだ。
そうすれば、落ちても次へのチャレンジへと心が向うからだ。失敗が嫌だからと、成功するものだけをやっていても、面白味は少ないものだ。
私にも結果的に落ちたけど面白かったと思えたことがあった。それはもう40年年以上前の大学受験だった。仕事上で長年お世話になっている女性の弁護士さん(私と同い年)がいる。
先日その方と話していたら、A大学卒だと聞いて意外なことに驚いた。実はその大学の学部は私も受験して補欠になっていたのだ。そんな偶然にも驚いた次第。結局私は別のB大に入ったが、私たちは40年以上前の同じ日に受験していたのだった。意外な偶然に気づくと、その場が盛り上がる。
彼女は卒業後、出版社に勤めていて、その後30歳の時司法試験にチャレンジして、2回目で合格したというからすごい能力だと驚いた。ここでのフレーズとはややずれたが、思い出したことを書いてみた次第。

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