「人の“読み”はめったに当たらない」・・・

「優柔不断は“得”である」竹内一郎著より。
まずはこのタイトルに魅かれて本を買ってしまった。そもそも自分自身が優柔不断だからだ。それで本当に得をするのだろうか、ちょっと興味深い。サブタイトルには、“「人生の損益分岐点」の考え方”、ともあった。
筆者は趣味で競馬をやっているそうだ。当然ながら外れるほうが多い。それでも一度いい思いをするとやめられないようだ。当然ながら、絶対と思って読みをしても、外れる。
しかし、人生のさまざまな状況では意思決定の連続になる。そこで、読みを外しても、土俵を割らない、人生を降りないという基本フォームを崩さないことが大前提になってくる。
いずれにしてもできるだけ後悔しないように、自分自身で納得した意思決定をするべきだと筆者はアドバイスしている。一見損だと思えることも精神的に満足感が得られればそれでいいのだろう。

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「ところで、肩書はどうされますか?」と最後に聞かれる・・・
「優柔不断は“得”である」竹内一郎著より。
この筆者自身のことだった。つまり、さまざまな肩書を持っているからだった。それらは、劇作家、演出家、マンガ原作者、作家、評論家、ギャンブル評論家、大学教授・・・。実にすごいと思える。
ふつう会社員だけやるだけでも大変だと思えるが、筆者は生きていくために、さまざまな職業を経験していくうちに、いろいろな能力を磨いてきたようだ。当然ながら、自身にとっては苦労の連続でもあったようだが。
肩書を聞かれた場合は、どれでも結構ですと答えているようだ。筆者自身は、もし演出家、劇作家だけで生きてきたらとっくに挫折していたと語っている。大学教員だけでも壊れていたと振り返っている。
年齢を経るにしたがっていろいろな職種が向いていることに気づいたそうだ。いろいろなことを努力の末に、身につけて感心してしまうが、自身でも思いもよらない可能性があるものだと語っていた。だからこそ、いろいろなことも即決してはいけないようだ。人にはまだまだいろいろな可能性もあるのかもしれない。

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「これが絶対」と決めつけることは結果的に損なのだ・・・
「優柔不断は“得”である」竹内一郎著より。
ここでの小タイトルは、“変化に対応するためのリスクヘッジ”となっていた。生きていくことは、さまざまなことの選択の連続になっている。
それらをあえて「損得」の観点から考えてみるというのもありなようだ。まあ、あまりそればかり考えていると、面白味もないような気もするが。
決定したことが間違っていても、途中で軌道修正をすればいいという考えだった。また結論を先延ばしにするというのも一つの考え方で、それが優柔不断というものかもしれない。
そして、ポイントは何かを選び取らないといけない場合でも、できるだけ退路を残しておくのがいいと筆者は経験を通してアドバイスしている。
いい言い方をすれば、変化に対応できる力を残しておくことが、ポイントのようだ。つまりそれがリスクヘッジというものだった。別の言葉では”のりしろ”とも言っている。

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人間のやることなすこと、遊びでも仕事でも何にでも中毒性がある・・・
「優柔不断は“得”である」竹内一郎著より。
いきなり中毒といと、薬物を連想してしまうが、この中毒とは、もう当たり前のように夢中になってしまういろいろなことを指していた。それは周囲の環境にも左右されそうだ。
その一例として、かつておんぼろアパートでその後有名になったマンガ家がたまたま多く住んでいたことをあげていた。そこには手塚治虫藤子不二雄の二人、赤塚不二夫石ノ森章太郎らがいた。
筆者は大学や専門学校でマンガを教えていても、それほどの天才は10年に一人も入ってこないという。あんな奇跡が起こったのは、手塚治虫がいたことが大きな要因だと考えていた。
つまり手塚氏が超人的に仕事をこなして、3徹、4徹を当たり前にやっていると、彼を尊敬する若いマンガ家が真似して、やっていたのだと考えている。
人が絶対に無理だと思えるようなことも、誰かがやると、その後もできる人が出てくるらしい。仕事で中毒したからこそ膨大なエネルギーが出てきたのだろう。仕事も中毒になるととてつもない力が発揮できるものだな・・・(しかし残念ながら、彼らはのほとんどは長生きできなかった。)