好きなことをした後は、熟睡できる。

「自分の才能に気づく55の方法」中谷彰宏著より。
一日の仕事が終わると、無意識のうちについつい「疲れた」と言っていることが多い。その疲れも、好きなことをやった後と、嫌なことをやった後ではかなり違う。嫌なことはより疲れを感じることが多そうだ。
しかも、好きなことで疲れた場合は熟睡できるが、仕事で嫌なことや結果が思わしくない時は、熟睡できない。社会人になっって12年間はあまり好きではない仕事をしていたが、熟睡できないことも多かった。
その後、やりたい仕事につけた時は、帰宅後でも、休日でも仕事に関することをやっていても、気持ちがいい疲れだった。そんな時はやはり熟睡しやすいものだ。
筆者は、やり終わって熟睡できるものが、自分にとって才能のあるものだという。好きな仕事ができているうちは、ストレスも感じない。疲れ果てて熟睡できるものが見つかれば、それは才能に気づく時のようだ。

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才能はスピードの中に存在する・・・
「自分の才能に気づく55の方法」中谷彰宏著より。
才能はスピードとは切り離せないものらしい。まずは、そのことが好きではにとスピードは出てこないものだ。好きなことなら進んでできるから、それに従ってスピードアップするといえる。
逆に好きなものはだらだらとやる気がしないのではにだろうか。てきぱきとやれるのは、それが嫌いではないという証拠かもしれない。また多少の苦労も楽しめたりするものだ。
仕事や趣味とは関係ないが、昨年末から朝のウォーキングを始めている。始めのうちは、筋肉も痛くなり、スピードは出なったものだが、そのうち慣れてくると自然と歩くスピードがアップしていた。
人と一緒に歩いている時も、意識しなくても早歩きになっていた。歩くことが嫌いではないのだろうと思える。最近では同じ距離を歩く時、どれだけ時間を短縮できるだろうかなどと考えるようになってしまった。これは才能ではなくただ面白いだけだが。

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何かをすることによって、次のやりたいことが生まれてくる。
「自分の才能に気づく55の方法」中谷彰宏著より。
ただ何もしないで、机の前に座って、何かやりたいことがないかな、と思っていても眠くなるだけで、何も思いつかないものだ。むしろ、身体を動かして何かをすることで、見つかることが多い。
中谷氏は、数百冊の著書があるが、人から「なぜそんなにたくさんの本を書けるのか?」と聞かれるという。氏は1冊書くと、3冊くらい書きたいことが生まれるのだと答えていた。
つまり書くことは一生の仕事になるのだろう。何かをするからこそ、次にやりたいことが生まれてくるようだ。やりたいとを次々と見つけて、やっていくことで、才能は見つかるということだった。
それは同じことでも、変わってもよかった。まあ、才能があろうとなかろうと、その時間を有意義に過ごせればもうけものかな。

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老化をはかる目安としているのが、「くれない指数」。
「老いの才覚」曽野綾子著より。
一般に老人とか高齢者は65歳以上といわれている。しかし、まだまだ元気で働ける年齢の人も多い。実に個人差があるようだ。
ここでの「くれない」とは人が自分に何かをしてくれない、と嘆いたり依頼することを指していた。実におもしろい表現で頷けた次第。
友だちが「してくれない」、配偶者が「してくれない」など、またどこどこへ「連れて行ってくれない?」や、ついでに「買ってきてくれない?」などの頼みごとも入っていた。
絶えず他人を当てにしている人がいるが、そういう言葉が多い人は、年齢に関係なく老化の始まりだという。老人だからといって、乗り物で座席をゆずってもらうのが当たり前だというのは、やはり老化が進んだ証拠だろう。
むしろ自分で何ができるかを考えることが大事だった。どう工夫できるかを考えることは本来楽しいことでもあると思うのだが、それが億劫になるのだろうな。

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誰でも人は何かを得ようとしたら、対価を払わなければならない。
「老いの才覚」曽野綾子著より。
老化が進むと、ついつい人にやってもらうことが増えるものだ。人は好意でいろいろしてくれるものだろうが、そんな好意に甘えているのはよくないという。
そのうち、そてくれるのが当たり前だと麻痺してしまうのではないだろうか。これはある意味お店のサービスとも似ている。お店では特別なお客さんだからと、親切なサービスと考えやっていることも、それを継続しているうちに、やってもらうのが当たり前だと勘違いしてしまう。
感謝の気持ちがなくなったら、意味がない。老人になり、自分のできないことをやってもらうなら、それなりの日当や時間給を支払うのが当たり前だったのだ。
東京では、収入のない70歳以上の人には、バスの年間フリーパスが千円らしい。これだけでバスが乗り放題とは、すごい優遇だ。生活の厳しい人が利用するのはいいが、中には「安いからと暇つぶしに乗っている」人もいるようだ。
曽野さんのご主人は80歳以上だが、映画の優待割引も使わないという。まあ経済的にゆとりがある人はそれでもいいのだろう。また、精神の若さを保つ上でも、自立の気構えは大切な要素のようだ。