エジソンにとって、「眠らない」ことは当たり前だった。

「人間関係力」齋藤孝著より。
サブタイトルとして、“困った時の33のポイント”とある。つまり人間関係は古今東西を問わず、大切な問題であり、偉人たちはこんな時それをどう解決してきたかについて述べられていた。
ここでは、仕事に悩んでいる部下に何と声をかければいいかについて、エジソンを例にとって、こうしたということが述べられていた。なかなか答えが出そうもない問題について、エジソンは次のように叱咤したという。
「今夜は二人で例の問題の答えが出るまで絶対に眠らないことにしよう!」と。実に驚くべき提案だった。筆者は仕事の悩みには即効薬はないという。そこで大事なのは効率的なリズムだった。
エジソン自体がそういうリズムで成功を勝ち取ってきたから、そう言えるのだろう。65歳当時エジソンは、一日に18時間働いていたという。そんな生活を45年も続けていたのだ。
大事なのは意識の持続だったようだ。普通は、いろいろな雑事があることで意識が止まってしまう。だから、エジソンにとってむしろ一つの作業が完了するまで、食事も睡眠もとらない方が効率はいいという考えだった。
何か仕事をしていて、もし気持ちが乗ってきた時に、他のことで中断されると、元のペースに戻れないという経験からすれば、ある意味それは正しいとも言えそうだ。凡人には継続するとはいっても、それも限度ものだとは思えるが・・・

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芭蕉の句も、実は弟子たちとのディスカッションからできている。
「人間関係力」齋藤孝著より。
この章のタイトルは“ビジネスに効く人間関係力”だった。ビジネスと芭蕉がどう関係あるのかと思ってしまう。ここでは、部下からいいアイデアが上がってこないとき、どうするかということについて松尾芭蕉を引き合いに出して語られていた。
芭蕉は「チーム」で俳句世界を作っていたという。彼は弟子たちとよくディスカッションをしながら俳句を仕上げていったのだった。お互いに批評し合って完成度を高めていったようだ。
これも信頼できるいい仲間に恵まれたからこそ、できることだとも思える。有名な「古池や蛙飛び込む水のおと」という句も、最初は「山吹や蛙飛ンだる水のおと」で、弟子たちとのディスカッションを経て「古池や蛙飛ンだる水のおと」になり、「古池や蛙飛び込む水のおと」に変化したらしい。
師匠がこのように、自分だけの世界にこだわらず、より芸術性の高いものを目指してアイデアを出し合った、ということから弟子たちも力をつけたようだ。リーダーとして、モノが言いやすい環境を芭蕉は作っていたのだ。

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人と人の関係は、イメージ同士の結びつきだ。
「人間関係力」齋藤孝著より。
必ずしも、いつも正しいとは限らないが、しばしば「あいつはこういう奴だ」というイメージを持って接してしまうことはある。なかなかどれが「本当」なのかはわからないものだ。
もし、人が望むならそのように対応するというのも生き方でもあった。そこでアメリカの国民的作家だったマークトウェインを引き合いに出していた。彼は「相手の望む自分」になって期待に応えることは最大の幸福だったようだ。
世間が彼に即席スピーチを期待すれば、それに向けて全力で努力したのだった。トウェインは、作家になる前にさまざまは職種を経験したことで、世の中の動きにも敏感で「歩くセンサー」のような男だと言われいている。
つまり反応が速く、他者の需要にも応えるという形で生きたようだ。人にイメージを植え付けることをサバイバル術としていたという。とくに妻から尊敬され、認められることを優先していたようだ。
どんな人にもイメージは付きまとうものだ。明るく社交的だろうが、一人で考えるのが好きだろうが、人は勝手にイメージを作り上げてしまうものだ。どうせなら、少しでもいいイメージを与えたいものだが、凡人にはそれが難しいかも・・・

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