アートという言葉には、本来2つの意味がある。

「年収防衛」森永卓郎著より。
実に大げさな本のタイトルだが、サブタイトルには、“大恐慌時代に「自分防衛力」をつける”となっていた。かつては年収は年齢とともに上がると思われていたが、今は逆に下がる傾向にある。
先行きも不透明な時代が長く続いている。たとえ年収が下げられても正社員として雇われているうちは、まだましな方だと思わなければならないのだろう。連日のように、大企業の希望退職募集の話題がニュースになっている。
さて、タイトルのフレーズにある、アートという言葉を実際に英語の辞書で引いてみれば、芸術、美術、技術、技能などと出てくる。意外に技術という意味には気がつかなかった。
そして、芸術が技術と結びつくことで付加価値が生まれるということだった。とくにイタリアでは製品に芸術性があるので付加価値があるといわれるようだ。イタリアのブランド物は高くても売れるのは、芸術と技術がうまく組み合わさっているからのようだ。
アパレル製品を見れば、日本では物理的な検査をするのに対して、イタリアでは芸術的な検査をするという。つまり着心地がよく、美しいかどうかを見るのがイタリアだったのだ。

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今までやってきた弱肉強食の経営は失敗・・・
「年収防衛」森永卓郎著より。
森永氏がかつて興味深く読んだ白書について述べられていた。それは2008年の内閣府の「経済財政白書」と厚生労働省の「労働経済白書」だった。
前者では、不況を乗り切るためには、もう一度思いきったリストラをして日本経済の転換を図るべきだと提言していて、後者では終身雇用、年功序列にもう一度戻して、安定した経済を取り戻すべきと主張しているという。
まったく対象的な指摘だったのだ。森永氏は高所の労働経済白書のほうが正しいという意見だった。弱肉強食の経営とは、安い商品によってマーケットを圧倒することだった。
つまり人人件費をはじめとする生産コストを圧縮して、市場に殴り込みをかけることで、他社を引き離すということだったのだ。しかし、値下げ競争ばかり繰り返していると、それもいつかは通用しなくなってしまうものだろう。
本当に付加価値がある商品やサービスを作っていくのは、現場で働く正社員だけのようだ。単にマニュアル通りに働かされているアルバイトやパート従業員では無理がありそうだ。そのためにもじっくり仕事に取り組める環境が必要だという意味のようだ。

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これまで秋葉原は、常に10年後の主力産業となる商品を生み出し続けてきた・・・
「年収防衛」森永卓郎著より。
これは第3章の「モリタク流発想術」というところで目にしたフレーズだった。ここでの小タイトルは“秋葉原に学ぶ新産業”となっていた。順に年代別にその変化が述べられていた。
1960年代は家電の街だった。確かに秋葉原と言えば、すぐに電気製品を思い出したものだ。そして1970年代の主力商品はオーディオに変わっていった。この頃私も秋葉原カセットデッキを買った覚えがある。
1980年代はパソコンの時代になる。とは言ってもまだ初期のプログラムを打ち込むようなものだった。そして、1990年代の秋葉原の主力商品はマルチメディアになっっていった。テキストと映像、音楽が結びついた世界が出来上がっている。
そして2000年に入ると、萌えという言葉が流行り出した。アニメのキャラクターやDVD,ゲーム、フィギュアが主力商品になっている。その後はこの地で生まれたAKB48なども爆発的な人気となって続いている。
きっとはじめは、これほどまでに派手に展開するとは予想できなかったのではないだろうか。はじめは誰もがあやしいブームだと思っていたものが次々と、力をつけていったようだ。そのブームも長いか短いかの違いだろうが。