仕事の面白さは、己のしてきた苦労に比例する。

「人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていたくはない」見城徹藤田晋著より。
それにしても、長い本のタイトルで、しかもインパクトがある。これは見城氏のワンフレーズそのものだった。この本では、見城氏が書いていることに対して、藤田氏が今度は自分の意見を述べている形になっている。
仕事に対して実に厳しいスタイルで望んでいる見城氏だが、それが自分のライフスタイルとなっているようだ。常に何かを考え苦しみ、また悩んでいる状態を楽しんでいるようにも思える。
仕事はほどほどで、趣味や自分の時間を大切にしている、というような人に対しては次のような言葉を投げかけている。一日八時間もつまらない時間を過ごすような人生で楽しいのか?と。
実にストレートでわかりやすい。だから、もっと仕事そのものを楽しく過ごすべきだということだろう。その結果として、人生も愉しくなるはずだということだった。
氏は本を作るとき、考えに考え抜くという。苦しんで考え抜いてこそ、自分の人生は豊かになると考えているようだ。「仕事が楽しければ、人生も愉しい」というのが雑誌『ゲーテ』のキャッチコピーだという。ここに氏の人生哲学が感じられる。

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「発見」のない仕事など、単なる人生の空費にすぎない。
「人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていたくはない」見城徹藤田晋著より。
ふだん仕事をしていると、ついついマンネリに陥ってしまうことがある。また疑問さえ感じなくなってしまう。しかし、時どき立ち止まってみると、やはりおかしいことにも気づいたりもする。
これはおかしい、と感じるのも発見かもしれない。そこからさらに発展させて新しい価値観を生み出せれば、なおいいのだろうが。当たり前だと思ってる中に、新しい気づきがあるとはりあいも出てくる。
常に問題意識をもって仕事に臨めばこそ、新しい発見もあるのだろう。見城氏は「今日と違う明日を迎えない限り、人は新しい景色に出会えない」と語っている。
さらに、働くことは、今日とは違う価値を生み出すことだともいう。それを付加価値と呼んでいた。まずは小さなことでも、新しいことをしてみることがスタートのようだ。それがやりがいにも通じるのだろうな。
藤田氏は、それに対して、新しいことには不安があるが、同時にワクワク感も生まれるというが同感だ。そんな感じでいつも仕事ができればいいのだが・・・

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人が最大の力を発揮するのは、切羽詰まった時である。
「人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていたくはない」見城徹藤田晋著より。
ここでのタイトルは「縛りがあるから面白い」となっていた。その一つの例として、俳句をあげていた。わずか十七音の中に季語を組み込みながら表現しなければならない。
こんな強い制約があるからこそ、素晴らしい作品が無数生まれているのだろう。しかも奥が深い。同時に読み手の想像力を試されているようでもある。
どうにかして、限られた文字数で表現しようとするには、苦しみやエネルギーが必要だろう。テレビのCMなども限られた秒数のなかでできるだけ多くのまたインパクトのあるメッセージを込めて伝えなければならい。いいコピーも決して長くはない。
何でもいから、いいアイデアがあれば提案して欲しいと言っても、漠然としていて出てこないだろう。しかし、ある程度、的を絞って(テーマや制約をつけて)依頼すれば、焦点が絞られいいものが出やすいのだろう。
そこには、時間や文字数、枚数、表現の制限などもいいかもしれない。自分で自分の締め切りをつくるのは難しいがそれが、できれば、創造力も発揮しやすいのかもしれないな。

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感想こそ人間関係の第一歩。
「人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていたくはない」見城徹藤田晋著より。
感想という言葉を見て、コメントとも似ていそうだ。しかし、コメントというと、なんだか軽くてちょっと偉そうで上から目線で言いぱなしのような気もする。
見城氏は、「感想を伝えるという行為は簡単のようで難しい」と語る。感想ですぐに思い浮かべるのは学生時代に書いた読書感想文のことだ。夏休みの宿題でもあったが、けっこう楽しめたものだ。
しかし、人を前にしての感想はそうそう簡単ではなさそうだ。しっかりと相手に注目していなければ、言葉を発することさえできないだろう。単なるお礼だけなら誰でも言えるだろう。
氏は感想はその場で言うのが一番いいというが、まさにその通りだと思うう。時間が経ってからでは嬉しさも半減だろう。また、相手が感想をしっかり伝えてくれた時、この人とは付き合える、と思うようだ。
氏は最後に「感想がないところに、人間関係は成立しないと心得るべきだ」と語っているが、それに対して、藤田氏は見城さんの感想の見事さは訓練の賜物だと感じていた。
また藤田氏は、「感想を言うことは、とても有効な戦略的コミュニケーション」とも語るが、それをうまく出来るかどうかが問題だとも思える。中途半端な感想ならすぐにわかるだろう・・・な。

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ヒットしたものはすべて正しい。
「人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていたくはない」見城徹藤田晋著より。
筆者の見城氏は編集者という立場から、ベストセラーはそれ自体で正しいという考えだった。しばしば、あんなくだらない本〜というような言い方をする人もいるようだが、それは見当違いもはなはだしいようだ。
結局、本は売れたもの勝ちということでもあるのだろう。くだらないとはいってもそれは、負け惜しみでもあるだろう。大衆が嗅ぎつけた価値がそこにはあるということらしい。
テレビ番組も、あんな低俗な〜というようなコメントを見かけることはあるが、結局それで視聴率が抜群であれば、スポンサーもついてくれるのだろう。逆にいくらいいと思われる番組でもNHK以外の民放では視聴率が悪ければ途中で打ち切られてしまう。
営業なら、どんなことをしても結果的に売上げが予算を達成しなければ、それなりの評価しかえられない。本なら一冊の単価は低いが、それが数十万部、数百万分ともなれば恐ろしい金額になってしまう。その事実の前にはどんな言葉も意味をなさないだろうな。

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