会話に彩りを加えるのは、たとえ話しである。

「武器になる会話術」内藤誼人著より。
これは“人の心を動かす話法の秘密”という章にあったフレーズだった。話のうまい人は、たとえ話もうまいものだ。やはり抽象的な言葉より、具体的なたとえばあれば、内容も頭にすっと入ってくるものだ。
キリストはたとえ話の天才でもあったという。どんな人にもわかりやすく話をするためにはそれが必要だったのだ。「話を聞きたくない人に話をしてはいけない」なら「ブタの前に真珠を置いてはいけない」と言ったそうだ。
実際に使われている名言なら身近にもいくらでもある。専門家やプロに余計なことを言うな、なら「釈迦に説法」といえば実にわかりやすく簡単に済んでしまう。
またオリジナルなたとえが思いつかないときは、比喩でもいいようだ。「頑固な汚れを落とす」は「頑固な汚れをブルトーザーのように落とす」と表現すれば、迫力が増してくる。
いかに相手が理解しやすいかがポイントのようだ。また。引用というのも会話で使えれば、説得力が高まってくる。同じことを言うにしても、平社員が「企業の目的は顧客の創造だ」というより、”ドラッカーによれば”、と権威がある人物がいったことならなおさら聞いてもらえそうだ。

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感謝の言葉で、相手に喜びをプレゼントしよう。
「武器になる会話術」内藤誼人著より。
何かしてもらったときに、たった一言の「ありがとう」があるかないかで印象はかなり違ってくるものだ。この感謝の言葉は魔法のような効果もあるという。言われたほうは、気分は悪くはないはずだ。
感謝の言葉が口ぐせのように、出てくるようになればいいようだ。しかも、たんに口先だけの言葉だけでなく、その時の態度も重要だと思える。しっかりと目を合わせることも必要だろう。
また感謝の言葉は、即座に言えなければその価値は落ちてしまいそうだ。また、人に感謝する気持ちを持っていたほうが、自分自身も楽しく生きられるようだ。
さらに、感謝の言葉は、少しぐらい大げさに喜んで見せるというのもポイントだった。そうすることで、また次の機会にも助けてもらえる可能性も高くなるからだった。感謝の言葉はいつでもタダというのもありがたい。

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他人に相談するのは、「どうでもいい問題」だけにしておくのが賢明だ。
「武器になる会話術」内藤誼人著より。
自分のことで、時々迷ったり悩んだりすることがあるが、そんな場合は人に相談したくなるものだ。しかし、他人の意見など聞いても、あまり役に立たないこと多いという。
むしろ本当に大切なことなら、人に語ったり、相談しないほうがいいようだ。他人に相談を持ちかけて、その通りにしなければ、相手は不愉快な思いをするからだ。まあ、自分と同じ意見なら問題はないだろうが。
自分がまじめに相談しても、相手はいい加減な答えを出してくるかもしれない。「〜〜しといたほうがいいんじゃない?」というような答えもある。
内藤氏自身のことが述べられていた。「作家として筆一本で食っていこうかと思っているんだ」と親友や先輩に相談したら、返ってくる言葉は「そんなの、やめろ!」ばかりだったからだ。
しかし、筆者はすべての人の意見を無視して、本を書くことを決めていた。しかもその選択は誤りではなかった、と今でも思ってた。むしろ相談した自分がおバカさんだと思っているという。
人に相談することで、自分で決めたことに対して気持ちがくじけるくらいなら、意味がない。他人の意見など初めからどうでもいいと思っているほうがいいようだ。

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「僕は冗談をいうのがヘタだ」という人は、単純に、努力不足なのである。
「武器になる会話術」内藤誼人著より。
人とのコミュニケーションで笑いがあれば、かなりスムースにいくことも多い。会話の中に笑いがあれば、人を理ラックスさせる効果がある。緊張感も減るだろう。
逆にこれといった、楽しい情報もなく、まじめだけの人と一緒にいると疲れてきてしまう。職場でも親しみ安い人は冗談が言えるような人だ。その冗談が言えない人は、ネタの仕込みをしていないからだともいえる。自分だけのオリジナルなネタは難しい。
やはり何ごとも勉強と同じように努力しなければ、ネタは集められない。そして記憶するということだった。アメリカの大統領は気の利いたジョークを言うために、専門のスピーチライターがいて、それを覚えるそうだ。
たかが冗談でも、それを見につけられるかどうかで、人への印象はかなり違ってくるのだろう。そういえば、綾小路きみまろの漫談などは冗談の宝庫とも言えそうだな。

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人の長所を探してお世辞をいうことは、いわば趣味のようなもの・・・
「武器になる会話術」内藤誼人著より。
こう語っているのは筆者の内藤氏自身のことだった。しかも、お世辞をいったからといって、絶対に見返りを期待しないこともポイントのようだ。
これは、“印象をみるみるアップさせる秘密の話法”という章にあったフレーズだった。趣味になるくらいにお世辞を言えるということは、相手をしっかり観察して長所を見つけられるからとも言えそうだ。
この自然体がいいのだろう。人と接する時に、自然とお世辞が言えるようになるには、訓練も必要と思われる。それができれば、円満な人間関係もできるに違いない。
お世辞も感謝の「ありがとう」と同じようにタダでできることだ。いくら言っても「言い損」などにはならないのもいい。また決してマイナスの評価を受けることもないのだった。「お世辞力」を磨きたいものだな。