競馬の馬券を買うように勝負を賭けることが読書でも必要・・・

「自分を活かす極意」齋藤孝著より。
筆者は「情報摂取法」という部分で、素早く情報を摂取する工夫について紹介していた。本を読み慣れていないと、はじめの2割程度にエネルギーをかけてしまい、その後投げ出してしまうことが多いという。私もそうかもしれない。
仕事で読書が必要な場合は、むしろ自分にとって最重要個所を探して、そこを徹底的に読み込むことがいいようだ。齋藤氏は、それを2割程度に限定しているらしい。
もし、それが小説などのストーリー性のものなら、そんなわけにはいかないだろうが、たんに情報を得るための読書なら有効だとも思える。当然ながら、そのコツをつかむのは容易ではないかもしれないが。
たとえば、ということで例があった。「ルネッサンス」(カルロス・ゴーン著)の場合、ゴーン氏の生い立ちなどは、軽く目を通す程度で、「クロス・ファンクショナルチーム」という発想について、読み込めばよかったのだ。
全体の2割を呼んで8割をつかめればいいのだが。その本のポイントはどこかがわかれば読みやすい。まず自分が必要だと思われる個所を目次などで目安をつけるのがいいのだろう。
読んでも理解しにくく途中で投げ出した本も多った。そんな本は買ったことも、費やした時間さえも損した気分になってしまう。それにしても読書に対して、「競馬の馬券を買うように〜」という表現はインパクトがあった。

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実は自由とは使える技が多いということだろうか。
「自分を活かす極意」齋藤孝著より。
一見自由とはすべての束縛から免れた状態と思ってしまう。しかし、それだけでは本当に技が自由に使えるというわけでもなかった。つまり何ごとも勝手に自己流でやってもうまく行かにことのほうがほとんどだ。むしろ失敗したり負けたりする確率のほうが高い。
スポーツでも何でも、練習で基本の技をしっかり身につけてなければ、十分に楽しむことはできない。それができないうちは極めて不自由ということになる。
天才と言われるモーツアルトもそれまでに技術を磨き多くの名曲をマスターして身につけたからこそ、後世に残る作品を生み出すことができている。ピカソも絵画の技術を身につけたからこそ、膨大な数の自由な作品を生み出していた。
自由とか個性は耳に心地よいが、それだけでは進歩も望めない。まずは量的な反復そこが、質的変化を生み出すものと念頭に置きたいもの。

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「芽がでない」と嘆く前にたくさんの種を蒔こう。
「自分を活かす極意」齋藤孝著より。
もしかしたら、このフレーズはかなり前にもとりあげたかもしれないが、またまた気になったので、忘れないために記しておきたいと思った次第。
で、ここではいったい何がポイントかといえば、具体的なかたちにする努力をしているか、ということだった。それをまず確認する必要があった。
作家になりたいという人がいたら、その時点でいくつもの作品を書き上げていなければならないとおう意味だった。たとえ、どんなにすばらしい才能があったとしても、それを具体的なかたちにしていなければお話にならない。
また、日々の仕事でのアイデアもそうだ。まずそれを人に見える形にしてあるかどうか。すぐれたビジネスプランも、誰でも口に出すことはできる。しかし最低限、企画書に書いていなければ意味がないのだろう。
芽が出る最低条件は「種を蒔くこと」だった。少しでも前進するためには、意外にそのことが、忘れていたりするかもしれないな。