フェアプレイしましょう」という言葉は、実力が高い人にとってのみ、

「パワープレイ」内藤誼人著より。
都合の良い言葉・・・
何ごとも勝負をする前からお互いの実力には差があるというのが前提だった。はじめから人にはいろいろな面で差があるのは当然だった。すべてが平等などはありえない。
たとえば、身長、体重、学歴、経験量、顔立ちや育ちの良さなども入る。所属する会社の知名度、ブランドパワーも異なる。知名度の高い会社と全く無名の会社ではもうそれだけで印象も大きく違っている。
そんなものまで実力と考えれば、それを克服するのは相当の努力がいるだろう。だからといって、実力が劣るものがいつでも負けるというわけでもなかった。何らかの戦略を使って克服してその実力差を埋めていくことも可能だった。
そんな心理的な戦略があまりなじみのない「パワープレイ」というものだった。「パワー」とはつまりフェアープレイに対して力を発揮することだとも思えてくる。つまり徹底的に勝つことにこだわるアメリカで生まれた考え方のようだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
地位が高い人ほど、広い空間を占有する。

「パワープレイ」内藤誼人著より。
これは事実だろう。社長室は一般社員いる事務所に比べて広くとってあるのが普通だ。また大会社になるほど別の個室が確保されていることが多い。社用で乗る車も高級車で大きいものだ。
地位が低い者ほど使えるスペースは狭くなっている。これはもうどうしょうもない差だった。もう空間の差だけで、パワーの差があることになる。
これを逆に考えれば、相手と向き合って話している時にも、自分の前のものを前に押し出して空間を広くとるというのも効果的だという。手ぶらよりも何か持っているのがいいのかも。
相手の空間を侵害していくというものだ。道具は事務用品、資料のファイル、手帳、飲み物などなんでもいいようだ。テーブルや机を広く使うということだった。
また交渉の際、必要以上の緊張をしないためには、いつも使い慣れた筆記具や手帳などをテーブルに置いておくというのもいいという。心理的に落ちつければ何でも利用すべきということだろう。パワーは意外にちょっとした工夫で出てくるものかな・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
受身表現を多用すると説得力が落ちる・・・
「パワープレイ」内藤誼人著より。
もし会話でパワーを得たいなら、受身の表現をゼロにして、必ず肯定表現を使うべきだった。「れる」「られる」というような表現以前に「受身」という言葉自体で劣勢な感じもする。
これは会話術に入るのだろう。いくら事前に準備を十分にしたからといって、そのプレゼンや説明の際にたどたどしいしゃべりであれば、それだけでマイナスのイメージになってしまう。
その際にきをつけるべきことは、パワーの面では受身の表現が含まれないようにすることだった。たとえば、「この商品は70%の若者人に好まれました」より「若者の70%がこの商品を好みました」と表現すべきだという。
彼はいつも受身の姿勢だということは、決して褒め言葉にはならなかった。消極的で自信のなさを感じさせ、イメージも良くなさそうだ。会話に説得力を増すには、受身表現をなくすことかも。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「すみませんが」という一語があるだけで、丁寧さがずいぶんとアップする。
「パワープレイ」内藤誼人著より。
実に何げない一言だが、それがあるかないかでは違うようだ。パワープレイとは言ってもいつでも強がっているだけでは物事は前には進まないこともある。守りと攻めをうまく使いこなすことも必要だった。
へりくだった姿勢を演出するという意味では「すみません」といく一言も有効だったのだ。この言葉には、相手をリラックスさせ、心を広げる効果があるらしい。「すみません」といわれて気分が悪い人はいないもの。
実に応用範囲が広い言葉だと気づく。人に何かを依頼する時にいきなり、「・・・してくれませんか?」「やっていただけますか?」というよりも、その前に「すみませんが、・・・お願いできますか?」と表現するだけで丁寧さが増してくる。
失敗して謝る際にも使えるし、道を尋ねる時にもしばしば耳にする。またほとんど意味もなく、「いつもすみませんねえ」ということもでも、話がスムーズに進もこともある。こんな一言で相手の心が柔らかくできるならそれもパワープレイになるってことかな。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
生涯学習のキメ手の一つはメモであるとよくいわれる。
「街に学ぶ---問題意識とは何か」扇谷正造著より。
この理由は、メモは蓄積されて、その人の知的財産になるというからだった。さらに、人間の観察や記憶はあてにならないからでもあった。
何かを見て覚えておこうと思っても、後になってしまうとすっかり忘れてもう二度と思いだせないことがほとんどだ。ところが、たった一言でもメモを残してあれば、そこから連想できることも多いもの。
まあ、生涯学習というほと大げさなことを考えなくても、日々の生活でも買い物忘れや予定の仕事の忘れを防ぐためには、メモは大切なものだ。それも、必ず目にしやすいところにメモすることがポイントだろう。
私はしばしばポストイットを定期入れに貼って、そこに忘れないためのメモを一言書いておくことにしている。それをしてから、特に買い物忘れがなくなったような気もする。また日記やブログなどもちょっとしたメモがあると書きやすいものだな。要するに書ければなんでもOKだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
マンネリズムは、いいかえれば現状維持あるいは現状肯定という立場・・・
「街に学ぶ---問題意識とは何か」扇谷正造著より。

昔、元は高名なジャーナリストで阿部真之介というNHK会長がいたそうだ。彼がある時、若い新聞記者連中を前にして、こう質問した。「ジャーナリズムの反対語は何か」と。
誰も答えら得なかったようだ。すると阿部さんは「それはマンネリズムさ」と言ったらしい。面白い。“リズム”という部分が重なっている点がポイントだろう。
しばしばNEWSは北、東、西、南の英語の頭文字からできたものとも言われている。つまりあらゆる方角から集められた情報という意味なのだろう。
その他、ここではnew thing'sの略だという説もあった。確かに新しい出来事だからこそ話題になるのだろう。もしマンネリズムなら、新しいものは生まれない。
常に自由な発想をするために、現状打破、現状否定ということも念頭に置きながら過ごしたいもの。特にジャンーナリズムに携わる人にとっては先入観や偏見は禁物なのだろうな。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
経験ばかりにたよっていると、考え方が固定しがちである。
「街に学ぶ---問題意識とは何か」扇谷正造著より。
イギリスのことわざにexperience is my teacher というのがあるそうだ。かなり以前に、日本語の「経験こそわが師」というのを聞いた覚えがある。
ところが、その経験だけにたよっていると、時代の変化についていけないということもありえる。とくに今は情報化時代で、変化のスピードが速くなっている。
そのため、従来の価値観が大きく変わってしまっているものも多い。ということから、はじめのことわざとは逆に「経験こそわが敵」ということもまた真実なのかもしれない。
ネット社会になると、今までのKKDつまり「勘、経験、度胸」だけでなんとかやってこられたことも、次第に通用しなくなってしまう。いい加減な記憶よりも、正確なデータのほうが、信頼できるのかもしれない。ということは、Dはデータということにもなるか・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人に好感を持たれるには、聞き上手であることが大切。
「街に学ぶ---問題意識とは何か」扇谷正造著より。
アメリカでは全米のセールスマン大会があって、そこの上位表彰者は話上手よりも聞き上手の者が多いという。
相手の話に耳を傾けると、相手は好感や信頼感を持ってくれるからだった。じっと聞いていればこそ、その後の適切な対応や処置にもつながる。
きくという言葉には、英語でhear と listen toの二つがある。日本語なら聞くと聴くということになるのだろうか。前者は、努力しなくても聞こえてくるもので、後者は努力してきくものだという。
そして、きき上手になるためのポイントが3つ挙げられていた。それらは1、目2、上手なあいづち3、話の腰をおらないこと、だった。これらは元々ちゃんと話してくれる人に対してのものだろう。
また、話してもらうためには、適切な質問ができるかどうかもポイントのように思える。また質問するためにもちゃんと相手の話を聴いていなければできないか・・・