豊かな常識は想像の翼で飛び立つためのエアポート・・・

「名作コピーに学ぶ読ませる文章の書き方」鈴木康之著より。
さすが優秀なコピーライターで指導者らしく実にかっこいい表現に出会った感じがする。コピーライターが書いたものは、いかにも突飛な感じのするものも多いが、それはふだん身の回りにあるものをしっかりと観察し表現を練ったものだった。
つまり想像力が何よりも大切なようだ。筆者はみんなの気持ちからの発想が何よりも大事だという。みんなに共感を持ってもらわなければならないものだった。
これを「人と同じことを思い、人と違うことを考えよ」と言っている。このワンセンテンスを読み返すたび、実に深い言葉だと思える。その例として、養命酒のコピーがあった。
「一年が過ぎるのは早いが、一日はなかなか終わらない・・・・そんな毎日の疲れに」「30分半身浴するくらいなら、30分早く寝たい・・・そんな毎日の冷えに」前のものは疲れた男性向けであとのは冷え症の女性向けのコピーだった。
読んでみれば当たり前のようだが、それを思いつくまでには何度も推敲したのだろう。普通の思いを表現したものだが、自然と納得できる。
筆者はメモはたくさんあるといいという。そしてそれは“想像の旅の、気づきの旅のフライトレコーダーです”とも語る。またまたシャレた表現に出会ってしまった。

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いい文章は幕の内弁当のようである。

「名作コピーに学ぶ読ませる文章の書き方」鈴木康之著より。
文章と弁当の共通点はなんだろうと、これもまたまた気になる表現だったが、もっと正確には「日本の幕の内弁当は世界に誇るグッドデザインである」と語ったのは工業デザイナーの榮久庵憲司さんだったらしい。
色とりどりに並べられたおかずやご飯、栄養のバランスも考えられたものが隙間なく見栄え良く詰まっていると実にきれいなものだ。内容が充実したものは見た目にもうれしくなってしまう。
そしていい文章もにそれに似ているというのだ。文章にも適量があるのだった。何々弁当というネーミングは、キャッチフレーズに相当するようだ。ほどよい容器は文章では文字の分量だった。
読んでもらい理解してもらうためには、多すぎず少なすぎずというところも大事だった。読むのが面倒だと思わせないためには、まずは分量を決めるべきだった。まあ、少なくてもしっかり理解できればいいのだろうが。


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文章を書くということは、書き直すこと・・・
「名作コピーに学ぶ読ませる文章の書き方」鈴木康之著より。
筆者がコピーライター講座で講師をするときは、課題提出の際に「書いたものは提出するな。何度も何度も書き直したものを提出しなさい」と言っているそうだ。
かつては原稿用紙&鉛筆派だったそうだ。ワープロやパソコンなない時代は当然そうだろう。しかし、時代は変わってパソコンが当たり前になると書き直しの際は実に便利だ。
書き直し文章作法ではパソコンは最良の筆記具だという。いい文章は書き直しをくり返すことで出来上がるのだった。書き直していくと喜びも生まれるという。
一度思いつきで書いたものは、あとで読み返してみると実にわかりにくいことが多い。やはり書いた直後はなかなか自分でもわからないものだが、日を空けてみるとあらばかりが目立つ。急ぎの時はロクな文章は書けない・・・私。
最後に“まとめ”の部分にあった文章をいくつか羅列してみたい。「文章は書くものではなく、読んでもらうもの」「読む人が、知ってトクするように、読んで満足するように、書きなさい」「「文書を書くとは書き直すこと」etc.

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機能さえちゃんと言えれば売れるというわけではない・・・
「人脈より人望のある人が成功する」中谷彰宏著より。
モノを売る時には、その商品がどういうものかという前に、それを売る人がどういう人かもポイントにもなるようだ。商品の説明だけに納得して買うとは限らない。
たとえば健康食品などは、効能よりもこの人が言うのならきっと間違いないだろうと思って買うこともある。それを薦める人が買うきっかけになることも多い。
そういえば、健康食品の場合一般的に好感度の高い有名人を宣伝に使ったりもしている。あまり個性が強い人よりもそんな人を信じたくなってしまうのだろう。
もっともそんな有名人はメーカーからタダで商品をもらって飲んでいるのかもしれないが。ギャラさえもらえば何でもいいことは言うのだろうが。また実際その人の意見や感想のように書いているのはコピーライターに違いない。
もし営業マンの立場なら、お客さんからあなただから、あなたを信用しているから買うのですと言われたら嬉しいに違いない。

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地味なつまらない雑用のほうが人望を得るチャンス・・・
「人脈より人望のある人が成功する」中谷彰宏著より。
つい目立とうと思うと、派手な仕事に走りやすい。成績さえ上げればいいのだろうと考えやすい。ファインプレーは派手に見える。派手な意見はそれだけ反発する人もいるに違いない。
実際は目立たない地味な仕事をコツコツとしている方が人望は上がるものだった。ファインプレーは失敗もしやすかった。失敗しても積極性があったとみられる場合もあるだろう。
単調な仕事はできて当たり前だった。ある意味仕事の難易度では、単調な仕事のほうが難しいというが、そんな考え方は今までしていなかった。
単調な仕事をまじめにこなす、ということも根性がいることに思える。誰もが面倒だと思える掃除や整理をきっちりやっている人はやはりいい意味で記憶に残るものだなぁ。
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いいカッコぶらないことが人望を生み出す。
「人脈より人望のある人が成功する」中谷彰宏著より。
ここでのタイトルは「できる人ほど自慢しない」となっていた。能ある鷹は爪を隠すということわざを思い出させる。ついつい人より何かできることがあると自慢したくなってしまうもの。
群衆に交じって踊っているとき、たとえプロのダンサーでも、人から「お上手ですね。習っているんですか?」と言われるぐらいのほうがカッコいいという。プロだからと言ってこれ見よがしに自分の力を発揮しないのも、なんだか奥ゆかしい感じもする。
確かに見る人がその動きで見ればわかるのだろう。なるほど普通にしてもその力が伝わってくるのが本当のカッコ良さだったのか。仕事も似たようなものだろうな。
自分からカッコよく見せようとするほど、しょせんそのレベルはB級になってしまうようだ。ぱっと見てもわかりにくいくらいがA級だという。奥が深い。
実際の仕事でもそれができればいいのだろうが、ついついカッコよく見せたいと思うばかり。で大したこともできない自分は、やはりよくてもB級止まりなのだろうなぁ、と反省させられた。

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「人脈より人望のある人が成功する」中谷彰宏著より。