「五〇歳になったからには、これから人生の午後が始まる・・・」

「生きるのが楽しくなる15の習慣」日野原重明著より。
こう語っていたのは、アメリカ女性パイロットのパイオニアと言われるアン・リンドバーグだった。彼女は大西洋無着陸飛行に成功したチャールズ・リンドバーグの奥さんだった。
午前、午後といえば午前はなんとなくあわただしく過ぎてしまうものだが、午後はかなり長く感じられる。50歳を過ぎたあとの人生のほうが長く解放されているという考え方だったようだ。子育てやそれに関係ある付き合いなどからの解放が大きいのだろうか。
起きている時間を考えれば午前より午後のほうが圧倒的に長い。実際の寿命のことだけなら、50歳過ぎのほうは短いかもしれないが、その間にはそれまで生きてきた経験による知恵や知識があるので、より有意義に過ごせるという意味合いでもあるのだろう。
自分だけの時間をどう使って今後の人生をデザインしていくかを考える、いい時期かもしれない。とは言っても、個人的にはもう人生の午後という年齢に入ってしまったが、まだまだ楽しく過ごそうという気持ちは持っていたいものだな。

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「人間は繰り返された行動によってつくられる」
「生きるのが楽しくなる15の習慣」日野原重明著より。
これは何と2400年も前のアリストテレスの言葉だったそうだ。日野原氏の目標としていたアメリカの医師であるオスラー(1849−1919)はこの言葉から、ヒントを得て健康と習慣について考えていたそうだ。
つまりオスラーは、ギリシャの哲学者の言っていたことに、健康の秘訣を発見したのだった。そして、今度はオスラーを師と仰ぐ日野原氏は「習慣」というテーマで研究を重ねたのだろう。
1979年ごろ、アメリカでは「健康を害する要因の半分が、不健康は習慣によるもの」という統計を発表していたのだ。日本ではまだまだその考えは取り入れられなかったようだ。
ところが、オスラーは100年以上も前に人間の健康には習慣が影響しているという考え方をしていたのだった。今ではそれが普通だと思えることでも、理解されるまでは苦労があったのだろう。

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希望とは、どうありたいかという「being」・・・

「生きるのが楽しくなる15の習慣」日野原重明著より。
しばしば、希望や願望というような言葉を耳にすることはあるが、それらの言葉の違いについてあまり考えたことはなった。
たとえば、出世したい、有名になりたい、金持ちになりたい、大きな家に住みたいなどは希望ではなく、欲望だったのだ。地位、名声、財産を求めることは外に向かっての願望を持つことだった。つまり何を持つかという「having」だったのだ。
それに対して希望は内なるものだという。それはどうありたいかという「being」だった。こんな考え方を初めて知るとわかりやすい。どういう人になりたいか、どんな人生を過ごしたいかというような、意味合いだったのだ。
ここには、希望について次のような表現もあった。「・・・自分を見つめ、自分の内側に求める未知なる能力」と。実に味わい深い言葉にも思えた次第。

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自分の心のなかにビジョンを描き、それに向かって勇気を持って行動することは、人生の創造につながる。
「生きるのが楽しくなる15の習慣」日野原重明著より。
ここでのタイトルは「人生のビジョンを立てる」となっていた。普段あまりビジョンということを意識することはなかった。ここでは人生の目標というような意味合いがあった。
筆者の日野原氏はそれを父から学んだという。そして、父である善輔氏は“3つのV”ということを述べていた。それは三つ目のVであるビクトリー(勝利)があると信じて、一つ目のVであるビジョン(将来に対する展望)を描いて二つ目のVベンチャー(勇気ある行動)を実行したという。
だからこそまず、第一のV(ビジョン)を立てることが大事だと言う。日野原氏は若い頃から常にビジョンを持つように心がけてきたという。たとえば、30年以上前に、習慣病という言葉をつくったが、それを浸透させるためには四半世紀の努力が必要だったと語る。
そういえば、森村誠一の作品の題名にも「ビジョン」というのがあった。そこには次のようにあった。「生きている者はそれぞれの人生にビジョンを描いている。」と。それはああなりたいとかああなりたくないというような志という意味でもあった。