好奇心が弱ると、情報が集まってこない。

『人生を変える万有「引用」力』齋藤孝著より。
まずは何ごとも関心が少なければ、それだけ入ってくる情報も限られてしまうということだろう。たとえば、歴史上のある出来事について知っていていれば、もしテレビ番組でそのことについて触れていた場合すぐに理解できることだろう。
またさらに、その番組からも新しい情報や考え方を得ることができるに違いない。つまりいくつかのキーワードを知ってるだけでも理解度や楽しさは増してくるものだ。
読書や映画でも、知っていることが多いほどより楽しめる。また好奇心の強い友だちからも刺激も大事にするといいと筆者は語っていた。
好奇心を保つためにはメモ帳を持ち歩くのもいいようだ。たしかに頭のだけに覚えておこうと思っても、忘れてしまうことのほうが多い。最近はたまにケータイのカメラで撮ることはあるが、あまり活用できていないな・・・

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幸せ感を得るには、幸福のハードルをあまり上げすぎないことだ。
『人生を変える万有「引用」力』齋藤孝著より。
この章のタイトルは「生と死を受け止める力をつける」となっていた。これだけだと何だかやや重い感じがする。
そこには太宰治の『ヴィヨンの妻』という小説からの引用があった。「人間三百六十五日、何の心配も無い日が、一日、いや半日あったら、それは仕合せな人間です。」とあった。
あまり欲をかかずに、これくらいハードルを下げておけば、大丈夫なようだ。なんでもうまくいく方が少ないと思えば、気も楽になる。
ついつい思い通りにいかないとダメ人間だとおもったり、自分だけ不幸だなどと感じてしまうものだが、それが普通だと思っている方がいいのかもしれない。
むしろ、今が普通に暮らせるなら、それまでがラッキーだったのだと思うべきなのだろうか、とふと思ってしまった。心配はしたら切りがないし・・・

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とにかく褒め上手は、対人関係において、ひじょうに武器になる。
『人生を変える万有「引用」力』齋藤孝著より。
人を褒めるということは、できそうでできないことだと感じている。まず、その人のいい点を見つけ出すには観察が必要でそれをまた言葉にするのも大変なことだろう。
筆者は対人関係を円滑にして、人望を集める一番効果的な方法は、相手を評価し、リスペクトすることだという。だからこそ、それが普通にできるなら武器にもなるということかもしれない。
人を褒めることは、自分にもプラスになるということだ。とくに子どもは評価して褒め続けると伸びていくものらしい。誰でも褒められればやる気も出るものだ。
ここにわかりやすいイラストがあった。それは「聞いてもらえる注意の仕方」とあって、「ほめる(80%)」と「アドバイスする(20%)」とあった。ここでのポイントは「注意」ではなく「アドバイス」だった。

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身体のタフネスはメンタルのタフネスにもつながる。
『人生を変える万有「引用」力』齋藤孝著より。
齋藤氏は小学生も教えているが、そこで大事なのは集中する体をつくることだという。とくに子どもは同じ姿勢でいるのはむずかしいらしい。
大人の仕事でも同じ姿勢で集中力を持続するのは大変なことだ。筆者はスポーツ好きだが、筋力トレーニングは筋肉を硬くすると思って、積極的ではなかったという。
しかし、実際筋力をつけてみると、基礎代謝が高く、疲れにくくなったという。今まで重かったカバンが軽く感じられるともいう。
筋力をつけると、日々の生活から起きるストレスを減らせることも発見したそうだ。つまりそれが、メンタルのタフネスにもつながるということなのだろう。

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「疲れた」と「だるい」は本来正反対の状態である。
『人生を変える万有「引用」力』齋藤孝著より。
この章のタイトルは「幸福になるための身体能力を引き出す」となっていた。実に積極的な意味合いがありそうだ。そこではストレスを解消することが大事だという。
ここでの引用は次のものだった。「エネルギーが余るとだるくなる、暴れたくなる。けれども、ちょうどいい時は快い。」(『整体入門』野口晴哉著)となっていた。
ついつい疲れたもだるいも一緒のものと思っていたが、別ものだったのだ。「疲れた」はもうこれ以上、体が動けない状態で、「だるい」はエネルギーが余っている状態だったのだ。
たしかに適度の運動をして汗を流した後は気分もすっきりする。疲れたと思っても、神経だけがつかれていて、体にはエネルギーが余っていることが多いのだろう。
だからエネルギーの発散は大事なことだった。体力があるのに会議や授業で長時間座らされていればだるくなるのは当然のことだったのだ。

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ビジネスライクな会話も、「笑い」の要素があるにこしたことはない。
「大人のための友だちのつくり方」横沢彪著より。
横沢さんにとっては、「笑い」は仕事の材料でもあったのだが、一般の人にとっても「笑い」はあったほがうまくいく場合が多い。
仕事だからといって、必要なことを事務的に伝えるだけではちょっと味気ない気もする。もし、そこで冗談でも言えるなら、意外に親しくなれたり円滑にものごとが進むこともある。
友だちになろうとするなら、お互いに笑える相手との方が親しくもなれるはずだ。初対面でいきなり笑いがとれるならベスタだろう。
逆に初対面でも、単に事務的な会話に終始すれば、第一印象としてはお互いにつまらないものだろう。もしいきなり笑いが難しいなら、いい印象を残すには、ちょっとした、「へえ!、オヤ!」などの感動もいいかもしれない。

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身銭を切ってでも一緒に遊びたいと思えるかどうか・・・
「大人のための友だちのつくり方」横沢彪著より。
本当の友だちなら、身銭を切って一緒に遊ぶものだろう。自分が楽しむためなら身銭を切るのは当たり前のことだ。
つまりこれは自分自身に投資するということだと横沢さんは言っている。友だちとのコミュニケーションで得るものは多い。何げない会話のなかでも知らなかったことを教えてもらえることがある。
また一緒に遊べる人は金銭感覚が一緒の人のほうが多いということになる。もし同じ趣味を持っているなら、それを通じて友だちになりやすい。
仕事だけを通じて知り合って会話しているうちは、まだまだ本物の友だち関係とは言えそうにない。もっとも今は経費など使えるほどの余裕もないが。
それなら、かわりに時間をその友だちに対して使えるかどうかも、友だち付き合いのなかではポイントではないだろうか、とふと考えた次第。